霧の中散歩

 

2021年が始まりました。

ベルギーでは、一時期減ったコロナの新規感染者が再び増えています。 休暇中は人が移動するので、予想されたことではありますが。

このまま、22時以降の外出禁止は3月1日まで延長されました。

死者数、入院社数は大分減ってきたとはいえ、死者の総数が2万人を超え、2020年は1918年のスペイン風邪以来、最も死亡者が多い年になったということです。

1月に入ってから、海外に出るのに申請書類が必要になりましたし、出る時も入る時も、必ずPCR検査を受けなければなりません。

日本も、入国を厳しくしている中、ますます日本に帰りにくくなってきました。次回はいつ帰れるのかなあ。

東京にいる高齢の両親のことは心配ですが、私自身は出られないとなると、今いるところで、地に足をつけていこうという気持ちが強くなってきました。 ベルギーにいてできることってどんなことだろう。

 

 

年末、相方のブルノーは、去年の夏に訪れたPay de Collinesに一人で出かけて行きました。前回は車だったのですが、今回は徒歩で。

 

夏の話はこちら

http://sachiyohonda.blogspot.com/2020/10/blog-post_16.html 

 

 

電車を降りた後、 3時間かけてHuguesの家まで歩いて行き、一泊して帰ってきました。

そして、結論ですが、Pay de Collinesは畑が多すぎて森が少ない。交通の便が悪い。ということで、家探しの候補としては却下となりました。

交通の便は、田舎に住むにはある程度覚悟しなければならないと思っていましたが、やっぱり歩いてみないとわからないことがたくさんあります。

ブルノーが、電車の中から見たAthという街を歩いてみたいというので、日曜日の午後を使って行ってみることにしました。

 

1月に入って、いきなりがっつり寒くなり、庭に霜が降りて、マイナス三度まで下がりました。

私たちがAthに行った日も、朝からとても寒い日でしたが、ブリュッセルでは青空が見えていたので、天気になってよかったね、と傘も持たずに出かけました。

ところが、途中から霧が濃くなってきました。

Athの駅に降りてみると、真っ白で遠くの風景は全く見えません。

木々や草にも分厚い霜が降りて、白い花が咲いているように見えます。

 

 


 

街の中心とは反対側の出口を出てみると、水路沿いにずっと散歩道が続いていました。

日曜日なので、霧の中を家族で散歩する人、犬を連れている人たちと何度もすれ違いました。

この辺りは、昔石を掘っていた場所があり、その時にできた大きな穴に雨水が溜まって湖のようになっています。

かつては石炭を掘り出していた地域でもあり、それで潤った時代もありました。水路もその頃に大活躍していたものです。

ベルギーの南部には、各地にこのような場所があります。

散歩道から住宅地に入っていくと、細い通りの突き当たりにかわいい家がありました。昔の田舎の家の作りで、屋根が大きく張り出しています。

壁の色もいい感じです。

裏に回ってみても、人が住んでいるようには見えません。

道端で車の整備をしていたおじさんに、この家について聞いて見た所、2、3ヶ月前にこの家に住んでいたおじいさんが亡くなったそうで、家は売りに出ているようです。

 

 


 

今は娘さんが週に何回かきているよ、といっていました。

とりあえず、手紙を書いて郵便受けに入れておくことにしました。

ちょうど、そこに車で帰ってきた近所のおじいさんと立ち話しました。フゴフゴ言っているので、半分ぐらい何を言っているのかわかりませんでしたが、「へえ、日本人なんだ、いいねえ」と何回も言っていました。何がいいのかわからないけれど。

彼は、この家に住んでいた隣人のこともよく知っていて、娘さんは韓国から養女だということです。ベルギーでは朝鮮戦争の時の戦争孤児を引き取った家族が多く、 私にも、ブリュッセルで知り合った韓国系ベルギー人の友達が何人かいます。

そのおじいさんは、このかわいい家の庭にいる馬を見せてくれました。

足の短い毛色の黒い馬で、遠くから見るとロバのようにも見えます。

もう30歳の馬なんだそう。この馬の世話をするために娘さんはしょっちゅう来ているのですね。

こうしてみると、馬が飼えるぐらいですから庭も結構広い。

線路がすぐ裏手にありますが、電車はそんなにたくさんは通りません。

駅まで歩いて行けますから、立地も理想的です。

もし家を買ったら、その時は馬も家についてくるのか知らん。

買えるぐらいの値段ならいいな、と夢は広がります。

しばらくして、娘さんからメールが来ました。

思ったより高くありませんでしたが、やはり予算オーバーです。

不動産屋の写真を見ると、庭に小さな離れと可愛い池がありました。

おじいさんが大切に住んでいたのがよくわかります。

 



さて、Athでは、その後、湖の方に足を向けました。この辺りの人たちは、すれ違うとみんな挨拶して感じがいいし、道を聞いても丁寧に教えてくれます。それだけでも散歩が楽しくなりますね。

湖の反対側にある石の博物館も立派でした。半分ぐらい使われていないようだったので、「ここで陶芸のアトリエを作ったらいいよね。」とか「あの家から船で通ったらいいよね」などとイメージを膨らませていました。

博物館の裏には、レシンヌにもあった 石を掘り起こす機械が打ち捨てられていました。私はそれを「恐竜」と呼んでいます。

水の高さを調節する水門と水路、そして恐竜が、ひと世代前の文明のあり方を私たちに見せてくれます。

 

 

住宅地に入り、畑の一本道を抜けてAthの街に戻ってきました。

霧がどんどん濃くなる中、もう歩いている人は一人もいません。

日曜日なので、ほとんどの店は閉まっていて、まだ飾られたままのクリスマスツリーが霧の中で光っていました。

実は、この街に来るのは二度目です。

何年か前、ヤンという変わったベルギー人と知り合って、彼の家に寄ったことがあります。

彼のことを思い出して、「電話してみようか」とブルノーが言っていましたが、彼の最後のメールは「僕はモロッコに行って、そこで暮らすことに決めました。さようなら。」というものでしたから、多分もうここにはいないはず。行動が読めない人ですから 「実はまだここにいるよ。」ということも考えられますが、電話するのはやめておきました。

 

ヤンは、私がブリュッセルの美術学校にいた時の版画の先生から紹介された人でした。「友達のパートナーなんだけど、話を聴いてあげてくれる?」と言われて、一度会うことにしました。

ちょうど、国立博物館で日本の木版画の展覧会が開催されていた時期だったので、博物館の前で落ち合うことにしました。

彼は小さなジープで来ていて、子供だけれど、子犬と呼ぶには体の大きい犬を首輪もつけずに連れていました。

博物館のカフェに入るために、犬の首に自分のマフラーを巻いて、犬連れでカフェの席に着きました。

そこで語られた話は、ヤンが日本の天皇に手紙を書きたいこと。

ヘンプを使った革命を起こすこと、ヘンプで紙を作りたいこと、などなど。スピリチュアルなのかビジネスなのか、ごっちゃになっていてほとんど何がしたいのかわかりませんでしたが、面白そうなので相談に乗ることにしました。でも、どうやって天皇に手紙を渡すの?山本太郎でもあるまいし。

最後に、カフェで犬がウンチをしてしまいました。カフェ中が臭くなってしまいましたが、お店の人もお客さんも大して騒がず、窓を開けて、ウンチを片付けてくれました。みんな優しい目で、お粗相をした大きな子犬を見てニコニコしていました。ベルギー人、優しいな。

 

ヤンの話を聞いてから、日本のヘンプについて調べてみると、昔から日本は大麻で麻布や麻縄を作っていたので、神道と深く結びついていることがわかりました。だから天皇に繋がって行くのも、あながち間違いではないのかもしれない。それから伊勢麻振興会の顧問が、安部昭恵さんだということも知りました。政治と神道の関係は、日本ではずっと続いてきたことだけれど。なんだか不穏なつながりですね。

その後、ヘンプで住宅のためのブロックを作っている工場で譲ってもらったヘンプを別の街の紙の博物館に持ち込み、紙を漉いてもらうというのでついて行きました。

彼の小さなジープに乗り込み、座席が二つしかないので、ブルノーは後ろの席でヘンプにまみれながら。

そして、帰りにAthにあるヤンのアパートに寄って、美味しいチーズとワインを頂いたのでした。 

彼は、普段はフォレスター(森の木を切る仕事)しているそうで、彼から、木の切り株を一つもらいました。乾燥したら餅つきの臼を作ろうと思って。

 

ヤンからは日本に行くのでガイドをしてほしいなどの話もありましたが、それに返事をしようと思った矢先、突然「モロッコに行く」というメール。最後までよくわからない人でした。

「元気でね」と返信しておきました。

まあいいか、という感じです。面白かったし。


 

Athには、晴れた日にもう一度行ってみたいと思います。

霧で見えなかった風景がどんなものなのかを知るためにも。

 

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