世界の終わりとタタール人の砂漠

 タタールという言葉が、私にとって現実味を帯びる前の話。

ブリュッセルのオートエコールでアートセラピーのコースをとっていた頃、学校の授業で哲学のレポートを書くために選んだ本が「タタール人の砂漠」でした 。 パリの本屋で何気なく買ったものですが、思いの外面白かったのです。

「タタール人の砂漠」は、イタリア人の作家、ディーノ・プチアーノの作品で、1942年に出版され、幻想小説としてカテゴライズされています。

どこの国かは定かではありませんが、北の国境の警備の任に就いた青年の話です。砦の向こう側は砂漠になっていて、兵士の間ではタタール人の砂漠と呼ばれています。何も起こりそうにもない退屈な国境警備で、砂漠の向こうから攻めてくるものがあるとしたら、それはタタール人であろうと、つかみどころのない警備の中で、敵対する相手を象徴的な意味でそう呼んでいたのです。初めは、早く転勤をしたいと思っていた青年は、結局死ぬまでそこに留まります。

砂漠の向こうから敵がやってくることを期待しつつ、それはあり得ないという諦めが期待を打ち消し、また期待する。それが繰り返されることによって、砦の生活に慣れ親しんで行きます。

月日が経つにつれ、休暇で家に帰っても、旧友に再会しても、違和感を感じるようになり、そそくさと砦に戻っていくようになります。

彼は、結局、自分の青春を、人生を、砦に留まることに捧げてしまいます。敵が来ることを期待し打ち消しながら。実際に大きな軍隊が国境に攻めてきたとき、病気で彼は死の間際にいたのでした。

 

最悪な事態を恐れながら、それを期待する。人間の持っている矛盾。

「平気で嘘をつく人たち」という著者の中で、スコット・ペックは、軍人という職業の本分はいざ戦争となった時に発揮されるもので、平和時には無用の長物でしかない。自分の存在意義を持ち続けるために、軍人は内心、戦争が起こることを望んでしまう、と書いています。

国を守るための軍備ですが、軍備を持つことがすでに戦争を起こす一つの理由となりうるのです。軍に属する人たちは、潜在意識でそれを望んでいるのですから。

 

「タタール人の砂漠」は、私がアートインレジデンスでカッパドキアに行った時のことを思い出させます。

カッパドキはトルコの西南にあり、数百万年前に噴火した火山が生み出した景観は、黙示録の世界のようです。2世紀ごろ、各地で大きな地震が繰り返し起こり、キリスト教徒たちは、この世界は終わるのだと感じていました。あるグループは、カッパドキアの地下に修道院を作り、世界の終わりを静かな祈りのうちに迎えようと考えました。ところが、彼らが待っていたものは 結局訪れませんでした。彼らは、何世紀もの間カッパドキアで暮らし、なんと、十字軍の時代にはトルコ側について、西からきたキリスト教徒と戦ったのです。

 

彼らが思い描いた、世界の終わりとは何なのか。そんなことを探ってみたくて、カッパドキアに赴いたのでした。黙示録の本を傍らに持って。

現代のカッパドキアは観光地で、思い描いていたような地の果てではありませんでしたが、幻想的な場所であることは変わりありません。2000年前に作られた修道院跡やレリーフの一部が残っています。現代の人々は地上に住むことを選び、地下にあるのは廃墟か観光用のホテルです。私が滞在した小さな村には、ホテルさえありませんでした。

かつてワインのために植えられた葡萄の畑にも、林檎の果樹園にも、今は誰もいません。谷を覗くと、ところどころに養蜂箱が置かれ、時々狐の姿が見えました。

黙示録の世界は、ただただ静かで平和でした。ある時刻には、同時に周りのいくつかの町からコーランが流され、四方八方から届く声が空中でぐるぐると回り、風に巻かれて消えていきます。

この平和な空っぽの空間が、ある意味世界の終わりの果てのようでした。


こちらがカッパドキアで作ったビデオ。このビデオを使ってパフォーマンスをしました。現地の人たちを招待して。

https://www.youtube.com/watch?v=r0JIV4l0pms&t=11s

 

私が子供の頃、ノストラダムスの大予言が流行し、当時の子供達はみんな影響を受けたと思います。1999年に世界が終わるのであれば、将来のことを考える気にもなれません。でも大予言は実現しませんでしたから、拍子抜けした人も少なからずいるでしょう。

ほっとする反面、世界は終わった方が良いという気持ちが、人々の心の中に渦巻いているような気もします。今作られている、あらゆる映画が世界の終わりをテーマに選んでいます。

1995年、オウム真理教信者は、逆に自分たちでハルマゲドンを起こそうと、地下鉄にサリンを撒きました。被害はとても大きかったけれど、世界はまだ存在しています。彼らが壊そうとした世界は、全体のほんの一部でしかありませんでした。サリンを撒いたことで、彼らだけの世界は壊せれてしまいました。失った世界の外で、信者はどう暮らしているのでしょう。

人間は、平和の中にあって、半分は何か取り返しのつかないことが起こることを恐れながらそれを夢見ている厄介な生き物です。

世界を終わらせるのは、結局は人間なのかな。

 

そういえば、最近、アメリカには、世界の滅亡に備える「プレッパー」という人たちが いるそうです。食料や日用品を貯め込む人、シェルターにこもる人、武器を買い集める人。

カッパドキアのキリスト教徒に似ているようにも見えますが、諦めの境地にある当時のキリスト教と違って、生き残るための準備をしているのですから、逆に裏にある恐怖感とストレスはハンパないかもしれないですね。集めた食料は奪い合いの対象になるし、武器は虐殺に使われたりして、余計な準備はあまり良い結果を生み出さないような気もてしまう。

 

タタールに話を戻すと、「タタールのくびき」と言う言葉があります。

かつて、ロシアがモンゴルに支配されていたことから、ヨーロッパ人にとってモンゴル人は、エクスタルタロ「地獄から来れるものども」と称され、それが韃靼人と相まって、モンゴル人をタタールと呼んだと言う説があります。そんなイメージが元々あって、「タタール人の砂漠」では、戦うべき相手として、その名を使われたのかもしれません。

「タタールのくびき」は、現在ロシアに住んでいるタタール人とは関係がないとのこと。タタール人とはフィンランドやハンガリー、トルコ系ブルガール人(今のブルガリア)が混じり合ってできた民族だそうで、後々、モンゴル人と同化したため、この名前を名乗るようになったそうです。

 

 


 

モンゴル帝国のその後

https://www.youtube.com/watch?v=OQT14XlIwlU


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