私自身の不在


 

2022年になりました。去年は新しく始めたことが複数あり、常にバタバタしていたため、ゆっくりブログを書くチャンスがありませんでした。

私にとって、現在起こっていることを書くのはとても難しい。

このブログは、過去と未来を結んでいくもので、私は今起こっていること、悩んでいることを文章に紡ぐことは至難の技なのです。

文章化することで、今の問題を具体化できるという人もいますが。

私自身、今感じていることが30秒後に同じだとは限りません。

本当はどうしたかったの?というのは、随分後になってわかること。最近は、悩み事は放置することが一番の解決策です。わからないときは何もしない。

現在は自由にしておきたい。今起こっていることが何につながるのか、そして 自分の感情の揺らぎがどこに到達するのか、今の自分の中の結論を不在なままにしておきたいのです。

 

去年は5月中頃から、ブリュッセルで日本食を出しているバーで仕事を始めました。週3回とはいえ、老体にはなかなかキツかった。

他のスタッフはみんな20代。国籍も様々。 日本料理を作っているけれど日本人は私だけ。いい加減なオーナーと毎日パーティーのようなスタッフたち。

体はクタクタだったけど楽しい仕事場でした。みんな若くて元気があって。

コロナ禍の中、ブリュッセル市は、カフェやレストラン、そしてイベントの入場には健康パス(ワクチン2回接種済み、またはコロナから回復した人が持てる)の提示を義務付けました。

それでも従業員には特に規制なし。私はワクチンを打っていなかったので、とうとうその時がやってきました。

朝から咳が出て何となく熱っぽく、普通の風邪の始まりのようだったのですが、次の日が、ここ一年準備してきた展覧会のオープニング。ブリュッセルのカルチャーセンター、Centre Cultural Jaques Frankでの4人展の始まりの日だったのです。

もし、コロナが陽性だったら参加するわけには行きません。

その日のうちにPCR検査をして家で待機していました。

次の週から展示場や映画館の規制が始まるという新たな政府発表があったばかりで、オープニングパーティーも、健康パスを持たない人は入れないということになっていました。

そして次の日の朝、メールで結果が届きました。残念ながらやはり陽性でした。

4人のグループ展だったので、私がいなくても何とかなりましたが、私が不在のオープニングに、普段会っていない友達がたくさん来てくれたようです。

次から次へとメールやメッセージが届きました。「オープニングに行ったのに見つからなかった。どこにいたの?」と。熱が出てふらふらしているところ、返事を出すのが大変でしたが、 私自身の不在が、私の存在を逆に際立たせたような結果となりました。



今回の展示のタイトルは、「不在の存在」”Présence dabsence”。

禅問答用のようですが、「不在」というものは、「存在するもの」があるからこそ出てくる相対的な概念です。仏教でいう無というのはゼロという意味ではなく、有に対をなすもの。だから不在というものは存在するのです。そして、存在していたものが失われたことによって、そのものの存在感というものをきわだ出せていきます。

展覧会の参加アーティストは、ベルギー人ふたり(グエンとマルティンヌ)、日本人ふたり(ひろとさちよ)。ベルギー人アーティストたちに、フランス語のタイトルのリストを出してもらうように頼みました。ふたりとも学校の先生で、詩的な言葉を巧みに作品の中に散りばめる人たちです。

 「交わらないけれど、お互いになくてはならないあちらとこちらの世界」というものを表す言葉が欲しかったので、このタイトルが一番しっくり来ました。

最終的に、それぞれが以前から作っている作品と響き合った展覧会になったと思います。

 

私たちは、もともと、ブリュッセルにあるアートセラピーを教える大学、ブリュッセル自由大学 (L’HELB) の生徒でした。アーティストにとっての アートセラピーってなんだろう?ということをテーマに展示をしたくて、学校も巻き込んでの展示をCentre Cultural Jaques Frankにプレゼンしたのです。

ちょうど、施設の改装工事があり、それが終わった後のお披露目展示だということで、規模が大きくなりました。

会期中の3ヶ月の間に、シンポジウム、コンサート、ワークショップも企画することになりました。

 

グループ展としては、アーティストの製作プロセスを見せて行くことも重要なテーマでした。というのも、クリエーションというのはプロセスの積み重ねによって出来上がるもので、アート作品が出来上がっていく試行錯誤の中に、心の修復作業があるからです。プロセスの中にある必然性が、製作の原動力にもなります。

そして、一人ではなく共同作業によって起こる偶然性と、新しい物語を創作する力というのも見せていきたいということにしました。

日本人アーティストの私たち二人は、 同じ紙上に同時に絵を描いていくという製作を行いました。中国の巻き紙をくるくると広げながら、墨や水彩絵の具を使って、2人でどんどん描き進めていきます。時々雑誌の切り抜きを貼り付けると、そこから次の物語が始まります。エンドレスでできる楽しい作業です。

ベルギー人アーティスト二人は、グエンの挿した刺繍をマルティンヌが解いていくという過程を写真にとったものを展示しました。


私一人の作品としては、会期中、展示場の壁にコラージュを少しずつ製作することにしました。何回かここを訪れる人は、その途中経過を見ることができるのです。

白く空いた壁の下の方に、こういうテキストを貼り付けました。

 


コラージュのデモンストレーション

このエクスポ開催の3ヶ月の間、私のコラージュ作品のプロセスをお見せします。

あなた方は、過去と現在の製作の変化を、その度に発見するでしょう。

コラージュ作品は、壁に直接貼られます。

エクスポの後、この作品は片付けられてしまいますが、

作品のイメージが、あなた方の瞳の中に残るといいと思っています。 

 



今回、コラージュ作品を発表したのは初めての試みでした。コラージュという技法は、日本でもコラージュ療法学会というのがあるように、箱庭療法よりも手軽で簡単にできるということで、心理療法士の中でも使われているテクニックです。

もともと、シュールレアリストの間で始められた表現形式で、特にマックス・エルンストの「百頭女」は圧巻です。シュールレアリストたちは、自動記述などの技法を使って、自分でコントロールせず、連想からなる自由な想像、精神の解放を目的とした創造的活動を行なっていました。

コラージュでも、自分とは関わりのない写真や素材を使って、全く違うものに置き換えてみる。文脈を壊すことで、自分が無意識にこだわっていたことに自然に到達していきます。

私は、自分の作品に取り組む中で、コラージュとは風水に近いのではないかと思いました。古来からある風水の決まりに沿うわけではありません。自分の中で、これはここにあって初めてしっくりくる、という瞬間があるのです。作品の中で、それぞれのイメージが置かれるべき場所は自然に決まっていきます。そうして、自分の立ち位置というものが作品の中で明らかにされていきます。

つまり、「配置する」という行為が、自分の現実での立ち位置をも明らかにし、芸術表現としても完結して行くのです。

 

 


着々と準備してきたエクスポとイベントですが、私は、その後、完全に負のループに巻き込まれていきます。

まず、私自身がコロナにかかってオープニングにも行けず (おかげで健康パスは手に入れましたが)、2日後のコンサートの夜、お客さんのために会場で食事を販売するはずが、家から全く出ることができないため準備に参加できず (同僚が頑張ってくれましたが)。シンポジウムの日は、仕事でヘトヘトに疲れていて参加できず (コロナからは無事回復しましたが)

それからしばらくして、日本から父が入院したというメッセージが来たため、2週間後、私は機上の人になりました。おかげで計画していたワークショップもキャンセルしました。出発までに白い壁のコラージュはそこそこ進みましたが、完成というには程遠く。

作品の搬出も友達に頼まざるをえませんでした。

 

どういう因果なのでしょうねえ。仕方ないとはいえ。

そして、私のベルギー不在は今まで続いていますが、そろそろベルギー帰国の時期です。

父の症状は改善してきました。急いで来日したわりには、日本のコロナ対策のあれやこれやで、父とも数えるほどしか面会できませんでした。不思議な時代に突入したことを、身を以て感じることとなりました。

長く不在にしてきた日本に、この時期戻ったということも、何か理由があるのかもしれません。

騒動の中でも、その時その時の決断があって、できなかったことは残りましたが、次の課題にしておきたいと思います。

 


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