イラストレーターの谷口広樹さんが亡くなりました。急なことにとてもショックを受けています。
とても悲しくて悔しい。
それは、谷口さんが、常に、この先に何をやるかを語っていたからだと思います。
谷口さんの新しい作品を見ることは2度とないと思うと残念でなりません。
5年前に、アントワープのNHK文化センター会場で日本画のデモンストレーションをしたことがありました。
ベルギーでテロがあり、日本からの観光客はほぼ皆無になった頃です。
NHK文化センターでは、生徒さんたちを集めて、毎年各国で大きな展覧会を開いていますが、その年は参加者が少なかったらしく、ベルギーにいる日本人アーティストにも声が掛けられました。
わたし自身も、季節労働者のようにやっていたガイドの仕事がほとんどなくなっていまい、たっぷり時間がありましたし、無料で会場にスペースをいただけるという事で参加する事にしました。
週末2日間、過去の作品を展示し、デモンストレーションとして新しい絵を一枚描きました。
何年も日本画の作品を描いていませんでしたが、いい機会だと思いパネルに白い水彩紙を貼りました。
私は、大学卒業後、初めてインドで個展をした時にインドの真っ白な手漉き紙を使った頃から、日本画作品にほとんど和紙は使っていません。
下地が白いと、日本画絵の具の色が更に鮮やかに見えます。顔料が紙の凹凸に入る感じも気に入っています。
会場には、関係者以外にもアントワープに住む日本好きの人たちが、たくさん訪れていました。その中でも2日続けてきてくださった方がいて、それがディリクさんでした。
彼は、わたしの作品が谷口さんの作品に似ていると言っていました。
香港で彼の絵を初めて見たのだそうです。
当時、わたしは谷口さんの事も知らなかったし、どんな絵を描いてらっしゃるのかも知りませんでした。
ネットで調べてみて、妙な親近感が湧いてきました。
もちろん、長いキャリアと才能のある谷口さんとは比べようもありませんが、なぜか同じ風景を見ているかもしれないなという気分になったのです。
Facebookで友達申請をしたら、返事をいただきました。
頂いたメッセージは、ギャラリー「ヨロコビ」での展覧会のお知らせでした。展覧会のタイトルは、「homosapiensaru in PARADISE」。
「私自身であるhomosapiensaruが、魂を振るわせ、癒される場を新旧作品を通して出現させられればと考えています。え〜っ!という古い作品も登場します。ギャラリーの奥にはカフェもございますので、くつろぐついでに展示もご覧いただければと思います。会期は一ヶ月近くございますから、お時間ができたときにふらっとお立ち寄りいただけますとありがたいです。 私は、毎週末にギャラリーで絵を描き、少しずつ増やしていこうかなと考えていますが、どうなることやら…。 どうぞよろしくお願いいたします。」
コバヤシ画廊の展示について、ホームページにこんな文章が書かれていました。
「ファイン系のところでは「絵を描く」ことを試みる。コバヤシ画廊での個展は絵について考えるいい時間だ。そのためにやっていると言ってもいいくらいだ。たとえ、その都度いいものができずとも自分は未来に向かい、そこに意識は存在する。どこぞの未来で「よっしゃ!」と膝を打つのかはわからない。今回も意識だけが先走り、現実はおざなりということになりそうだが…。限られた時間の中でどこまで昇れるかだ。
うまい絵ではなく、いい絵が描ければ本望だ。技巧だけでは描けない深淵を提示すること。「何を描く」ではなく「絵を描く」ということ。絵をつくるという意識。絵にするという意識。そして絵になることができればよし。」
流石に日本とベルギーは遠い。この展覧会に行くことはできませんでした。
その後も、コバヤシ画廊での展示「another withdrawal」のお知らせをいただきましたが叶わず。
いつか日本に一時帰国した時には、絶対に谷口さんにお目に掛かろうと心に決めて、待つこと1年、2018年の初めに、やっとスペース・ユイでの二人展のオープニングに伺うことができました。
図々しく最後まで居残り、イラストレーター仲間の皆さんとの打ち上げについて行きました。とても楽しい夜でした。
同席した方に「ところであなたは誰ですか?」と聞かれました。
私は、完全な異邦人なので。
やっとお会いできた谷口さんの印象は、お坊さんのような短髪とおひげ。
背の高い方でした。お話を聞くと、いい先生なのだなという印象でした。
一緒に展示をしていた北見さんと谷口さん
谷口さんの印象に残った最後の作品は山の絵でした。
彼のFacebookのタイムラインに紹介されていて、いつもとは少し感じの違う作品でふと目が止まったのですが、その時は忙しくてコメントを詳しくは読みませんでした。でもイメージは頭に強く残っていました 。
「潰してしまった もはや 幻となってしまった山。
こうして私の心にだけ残る 作品とはなり得ない圖像が数多あるのだ
…と 格好良く終えようと思ったが、
なんだかんだ あれこれ と 無理矢理 寝技をぶちかまして作品化してしまうので 以外と少ないかもしれないなが 最終的なものになる過程で心の引き出しに収まっていくものは無数にあるなぁ…
と 制作途中のランチの時間に カフェでしみじみしている
こういう時間 大事。」
そこには、すでに存在しない作品だということが示されています。
お友達のコメントに対して、「もうこの世にはございません」と書かれていて、今それを改めて読んでみると、谷口さんはあの山に行ったのではないかと妄想してしまいます。
もうこの世にはない山に登る姿を。
訃報を知ったとき、あまりにもショックだったので、すぐにディリクさんにメッセージを書きました。返事には、谷口さんの早い死を悼むと共に、彼の作品には深くて超越的な意味があると書かれていました。
「Too early, this is true. I work in elderly home, many people die there but much older. Taniguchi Hiroki is very meaningful to me, his work has deep and transcendental meaning. I wish I could thank him for this. I will thank him in prayer and silence.」
私たち二人は、世界の反対側で、谷口さんの深みにはまったのかもしれません。
ディリクさんとも、会ったのはアントワープの時の一回だけ。
でも思いをシェアできることは本当にありがたいことです。
私が、谷口さんの作品のどこに惹かれたかと考えると、彼の作品の深さと美しさが直線でつながっていること。深くてシンプル、その明晰さなのかもしれません。 宗教的なエネルギーと静けさ。お寺の壁画を依頼されたのも納得がいく話です。ふと笑ってしまうような動物たちは、いつも不敵な笑いを浮かべています。
私が長い間、日本画の素材を使うのをやめたのは、あまりにも色やマチエールが綺麗すぎてしまうからでした。深いものを描くのに暗い絵にする必要はないのですが、自分で書いたものが薄っぺらなものに感じられて、手をつけられなくなってしまったのです。
これからは、もう少し描けるかもしれません。そのことを谷口さんが私に示したのです。
私は勝手に、谷口さんの作品を通じて、何かを託されたような気がしています。
彼に変わって作品を作ることはできないけど、谷口さんが無作為に世界に蒔いた種が私の心にも飛んできて、いつか芽が出て花が咲くのかもしれません。
不思議なことですが、人に影響を与えたり、人の影響を受けたりするのは、出会った回数ではなく、出会ったタイミングなのだと感じます。
私も、知らない間に、誰かに何かを託しているかもしれない。
何かを託すことで、人は死んでも終わりがないのかもしれないですね。
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