ねずみの話

 私のアパートの上の階に住んでいるトゥーリアはモロッコ人。 

おしゃべり好きな親切な隣人です。

時々、マーケットやスーパーから配達されたものをおすそ分けしてくれたりします。

今通っているピラテスのコースを紹介してくれたのも彼女。

普通にスポーツを楽しむ健康な女性でした。

ところが2年ほど前に、アパートの階段から落ちて肩を強く打ち、その頃から家で静養しているようでしたが、良くなるどころかどんどんひどくなり、今では家の中でもうまく歩けなくなりました。

この夏、外歩きをつきあってほしいと言われ、近くの公園まで何度か一緒に歩きましたが、私の腕に捕まらないと転びそうで怖いと言います。うまくバランスが取れなくて、右足と左腕を一緒に出すことができません。それでも、その頃はまだ家の中では普通に歩いていたし、ルームランナーでトレーニングしていました。ところが、今はトイレに行くのも大変で、大学生の息子に助けてもらっているそうです。

 

 

なぜこんなことになったのか。

話を聞いていると、彼女は極端な怖がりで、病院に行って検査するのが怖いのです。普段からオーガニックのものを食べ、体にいいものをよく知っているのですが、逆に検査や薬を忌み嫌っているように見えます。だからすぐに病院に行かなかったし、検査して本当のことを知るのも怖いのです。出された薬も飲みたくないと言います。

他にも、お父さんの病気や、アパートの不具合とか、息子のこと、不満の種はたくさんあります。

薬を飲む時は、小さい頃にした大きな手術を心臓のことも心配だし、何よりも、このまま歩けなくなってしまったらどうしようという不安で、鬱々としています。

最近は、急に歯が痛くなって治療したのですが、今の歩けない状態は歯からきていると医者に言われたとか。

なんにしろ、 本当の原因はまだはっきりわかっていません。

彼女の恐怖が、彼女自身を追い詰めているような気がしてならないのです。

 

 

つい先日のこと、トゥーリアは突然、「今の不幸は、あのネズミの頃から始まった」と言い出しました。

「ネズミの頃」というのは、彼女のアパートにネズミが現れて大騒ぎしたことがあったのです。

同じアパートなのに、私はうちでネズミを見たことがありません。

入ってくるとしたら、地下の道路側にある隙間です。地下階に住んでいる私が遭遇したことがないのに、わざわざネズミはトゥーリアのトイレに現れ、その後何度か彼女を恐怖に陥れたのです。

私の相方のブルノーが相談を受け、ネズミ捕り大作戦をしたのですが、ブルノー自身経験がなく、友達に聞いて強力なノリがついた箱を仕掛けたのでした。

そしてネズミがかかった時の二人の慌てようと言ったら。

私はその場にいなかったので、その話は後から聞いたものです。

ノリタイプのネズミ捕りでは、かかったとしてもくっついているだけで、ネズミが死ぬわけではありません。それを水に沈めて溺死させるのです。

そんなことは、罠をかける前に考えればわかることですが、泣き叫ぶネズミに、ブルノーとトゥーリアは恐れおののき、ブルノーは泣きながらそれを森に捨てに行きました。

ブルノーが言うには大きくて立派なネズミだったそうで、その美しさに圧倒され、何もできなかったのだそうです。

涙目になったまま私に報告する姿はまるで小学生です。アーティストなので繊細なのはわかりますが、いい親父がうぶすぎるのでは。

 

 


 

そんな大騒動があった頃、トゥーリアは入り口の階段で転んだのです。

私は、どちらかといえばネズミに同情します。

ペストを運ぶなど、ばい菌をばらまく媒体となる害獣ですが、転んで歩けなくなったことの責任をなすりつけられてもなあ、、、と。

中世ヨーロッパでは、ネズミは悪魔や魔女の化身だったし、古代ギリシャでは、破壊と死のシンボルだったそうですから、そう思うのも無理はないのかもしれません。

逆に日本では、ネズミは吉のシンボルで、白ねずみを祀る地方もあるとか。十二支にも入っていますしね。

 

アパートのネズミは、駆除の業者が毒入りの箱を仕込んだあとは現れなくなりました。地下でネズミの死体を発見することもなく、本当にいたのかどうか。なんとなく狐につままれたような気持ちです。

 

ネズミは私たちの生活のすぐ近くにいる動物で、そういえばいろんな出会いがありました。

出会いといっても、大抵は大騒ぎや、やれやれという気持ちで終わるものですが。

前回、日本の実家に帰った時は、天井裏に住み着いたネズミの話を聞きました。

穴が開いていた壁を修理したところ、出口を失ってあわてたらしく、戸袋をぶち破って外に出たようです。襖に大きな穴が開いていました。

 和紙で修繕し直したのですが、そのすぐ後に、電気のブレーカーに子ネズミが引っかかって死んでいるのが発見されました。

電気の検針に来た人が、「ネズミ飼っているんですか?」と聞くので、なんのことかと思ったら、小さいネズミが感電死したままぶら下がっているのを見せられました。逃げ遅れた家族の一員だったのかもしれないですね。

母は、自分で片付けるのが嫌なので、「あれ、とってよ」と私に言います。私だってやりたくありません。結局弟に押し付けて一件落着しました。

 

他にも、去年豊田市のお寺での展示に参加した時、住職のご両親のお家でご飯を食べながら屋根裏の話を聞きまました。

天井裏から時々聞こえる、ずる、ずる、という音は、きっとヘビだね、と。でも時々、と、と、と、と、という音も聞こえます。これはネズミかもしれません。

ずる、ずる、と、と、と。ずる、ずる、と、と、と。ずる、ずる、ずる。

その後、と、と、と、が聞こえなくなり、きっとネズミはヘビに食べられたのだろう、と。

屋根裏は、まるで劇場です。いろんなことが起こっている。

でも、いつも災難を被るのはネズミの方ですね。

 

とりあえず、 トゥーリアには、ネズミは福の神であり、夢に出てくるのは良いサインだということを、今度教えてあげましょう。

不幸をネズミのせいにすることのないように。

あとは恐怖に打ち勝つための瞑想かな。

 

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