生きること死ぬこと

今、ベルギーは、コロナの第2波が来たと言われて、規制も厳しくなっていますが、だいたい予想していたことなので、そんなに驚いていません。

どちらかというと、今年に入ってあまりにも訃報を聞くことが多いのに驚いています。

亡くなる理由はまちまちですが、今のところコロナで亡くなった方は一人もいません。

知っている方が亡くなると、これからもうずっと会えないんだということが不思議に感じられてしまいます。道端でばったり会ってもおかしくないような。

 

 

若い頃には、あまり死に対面する機会はありませんでした。

私が5歳の頃、祖父が亡くなったという経験ぐらいです。お葬式の後、叔母が父に「この子は小さいから、おじいちゃんの死んだこともよくわかってないだろうね。」と言っていました。私は泣いたりしなかったけれど、もう祖父には会えないことをよく解っていましたから、「大人は何も分かちゃいない。」と心の中で思っていました。可愛くない子供でしたね。

また、年下のいとこがまだ小さかった頃、私のそばにきて 「人はみんないつか死んじゃうってほんと?」と小さい声で聞いたことを覚えています。「すごく怖い」んだって。とても可愛かった。

その時は、子供って面白いと思ったけれど、それって当たり前のことなんですよね。死ぬことを考えると、とても怖くなる。私も小学生の頃、布団に入ってから、自分が死んだらどうなるか想像したことがあります。死ぬということは、何もなくなることだから、存在しない自分を想像してみようと思いましたが、目をつむったまぶたの内側が暗いばかりで、それ以上何も実感できませんでした。そして、暗闇の向こう側の想像を超える世界が空恐ろしいような気がして、それからはそんなこと想像するのはやめました。

 

 

一番最初に、死とは現実にあるひとつのストーリーだということを感じたのは大学卒業後、フランスのパリに旅行をした時のことです。道端で大学時代の同級生にばったり会って、彼女の知り合いのシングルマザーのお家を尋ねました。体が大きくて明るいお母さんと彼女の三人の子供たち。まだみんな小学生ぐらいでした。他にも、子供の友達を預かっていて、四人の子供の面倒を見ているということでした。

働きながら定時制高校に通っていて、卒業できたら大学にも行きたいと言っていました。とても大変そうなのに、そんなことはにも出さない元気な人でした。

私はすっかり感心してしまって、こういう人も世の中にはいるんだと思い、何か私の心の中で、世界を信じていいような気持ちが芽生えていました。

ところが、それから1年後にまたパリを訪れた時、友達に「前に会ったあの人はどうしてる?」と聞いたところ、「彼女は自殺しちゃったの。」という返事が返ってきました。愕然として言葉も出ませんでした。

彼女の明るさ、頑張り、希望、全てが幻だったのか。残された子供達はどうなったのか。その時、死ぬということは、そんな単純なことではないと初めて思いました。

死ぬということは生きていることの鏡のようなものかもしれないと。

 

ベルギーに住むようになってから、鬱病の話をよく聞くようになりました。

ベルギーは年間を通じて雨や曇りが多く、太陽を浴びる時間がとても少ない地域ですから、ビタミンDがどうしても足りなくなってしまいます。天気の悪さが原因で鬱病になりやすいと言われていますが、今の時代、鬱はベルギーの専売特許ではなさそうですね。

今年の3月に命を絶った古い友人も、長い間不眠症に悩まされていました。

アコーデオン・ファンファーレ・ブリュッセロワーズというグループに参加していていた頃、そこで知り合ったエリックです。

一時期恋人だったんですが、彼のお母さんが亡くなってから精神的に大変で、自分のこと以外考えられないから、ということで向こうから別れました。

その頃から夜全く眠れなくなっていたようです。昼間仕事場で居眠りばかりしてしまい、結局仕事も止めることになりました。そのあと、私もファンファーレに行かなくなり、ずっと連絡を取っていませんでしたが、去年の夏突然電話がかかってきました。日本映画を見ていて、私のことを思い出したのだそう。

「君と一緒にいた頃は楽しかった」と言われて驚いてしまいました。今更よりを戻すのも考えにくく、どう返事しようかと一瞬戸惑いましたが、そういうことでもなかったようです。病院に入っているけど「たいしたことではないので」すぐに出るんだけどね、と言っていました。じゃあ、そのうち一緒にコーヒーでも飲みに行きましょう、とその時は電話を切りました。その後メッセージのやり取りをしましたが、結局すぐに退院できずに半年が過ぎてしまいました。

今年に入ってから「誰か、アパートのひと部屋を何週間か貸してくれる人はいないだろうか。」と電話がかかってきました。

退院するのに、すぐに自分一人の部屋に戻ると危険だから、ということだそうです。

精神的な病気の場合は、退院した後が一番難しい時期で、誰かと一緒にいた方がいいのです。私も探しておく、と返事をして、何人かに聞いてみましたが見つからず、そのままになっていました。彼はたくさん友達がいますから、私が頑張らなくてもきっと見つかるだろうと思っていたのです。

そして、この3月、彼の訃報を知りました。

私は、ちょうどベルギーの国際空港で飛行機の搭乗を待っている時でした。

エリックと共通の友達からメールが来ていて、エリックのお葬式があると。

あまりに急なことで、よく頭が回らなくなっていました。どうして亡くなったのか全く思い当たりません。飛行機がスリランカに着いたあたりで、もしかしたら自殺だったのでは、と閃きました。

彼は自分の部屋に戻ったのでしょうか。たった一人で亡くなったのでしょうか。

何もわからず、お葬式にも出れずに、私は一人で旅をしていました。ベルギーを遠く離れて、気候も環境も全く違うところでエリックの死について考えていました。

その後、友達がお葬式に参列して、やはり自殺だったと教えてくれました。

本当なら、5月には彼のお兄さんが偲ぶ会を開くはずでしたが、ロックダウンでそれも叶いませんでした。

中途半端なお別れだったせいか、何かまだ終わってない感じがしてしまいます。

もっと真剣に部屋を探してあげればよかった。こうなる前に会っておけばよかったと、今でも色々考えますが、お葬式に出た友達のメッセージには「それぞれが、みんな何かしら後悔してしまうかもしれないけど、本当のところ、彼にしてあげられることはほとんどなかったのでは。」と書いてありました。

そうかもしれない、とも思います。

ただ、生きている時は辛かったかもしれないけれど、エリックは、本当はもっと生きたかったのだという気がしてなりません。私の中では、彼の死が、彼の生き様を映し出しているように感じています。

 


昔の写真を探したら、ファンファーレの写真が出てきました。

 

話は少し変わりますが、先日、別の友達の家で寿司パーティーをした時に、ブラジル人の女性に会いました。

友達の弟の恋人で、半年前にベルギーに来たばかりだとか。

ゴージャスな美人で目の綺麗な人です。ブラジルの中でも、小さな島に住むマイノリティーな部族の出身で、言葉も文字も全く違うところで育ったと言っていました。

色々話を聞くうちに、彼女はアクティビストで、トランスジェンダーで、それが理由でブラジル政府に追われていること、彼女が原因で兄弟が殺されるかもしれないこと、ベルギーではブラジル人で初めての亡命者であることを知りました。

彼女のオーラは強く美しくて、どんな状況であろうと生き抜く力を感じました。

私は、なぜだか、彼女の話を聞いていて泣いてしまいました。

 

生き抜くことと自ら死を選ぶこととは、どんな違いがあるのでしょう。

一人の人の中に、どちらの可能性もあるのでしょうか。

それとも、それぞれの持つ生きる力は、最初から決められてしまっているのでしょうか。

死を急ぐ人たちは、微妙なバランスで生と死の間に、片足ずつかけているような感じがします。どちらに傾くかわからない不安定な体勢で。

そういう人たちの両足に根っこが生えればいいのに。どう頑張っても引っこ抜けないような。

 

自分のことについて考えると、歳を重ねるごとに様々な死とすれ違って、いつかは自分も死んでいくのでしょうね。その時に思い残すことがあったとしても、それはそれでしょうがないのかもしれません。

今から、思い残すことがないよう生きよう、などとはあまり思いません。

その時その時にできることをやるしか、生きる方法はないように思うから。


 

 

 


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