中州に建つ鳩の家

7月の終わりにレシンヌというところでParcours d'artisteというイベントが開催されました。アーティストが自宅で展示をしたり、コンサートが催されたりと、街全体が参加するイベントです。
コロナ対策が行きつ戻りつしているこの時期、よく開催できたと思います。
観客が地図を持って各会場を回って歩くというもので、不特定多数の人が訪ねてくることになりますから心配です。他の地方ではキャンセルになったところも多いそうです。 
 
たまたま、友人のエブリンにから誘われて参加することになりました。
彼女は、ノートルダム・ア・ラ・ローズ 教会(中世の頃の病院)のすぐ近くにアトリエを持っています。
展示はそこで行われました。
ノートルダム・ア・ラ・ローズは薔のノートルダムという意味。
素敵な名前ですよね。 1243年に作られた古い建物です。
夜はライトアップされてとても綺麗です。
テラス付きのカフェではビールも飲めます。 
 
以前、私は、エブリンの開催する紙すきワークショップに参加したことがあります。彼女は、自分で漉いた紙でランプシェードを作っているのです。
私が参加したのは、庭にある植物の繊維で紙を作る、というものでした。
一泊二日の泊りがけ。
当時は、アトリエはまだ改装中で、床に穴が開いていましたが、すでに居心地の良い空間になっていました。
バケツにおがくずを入れた簡易トイレ。水道も通っていないので、手洗いや作業には雨水を使っていました。 
まさに、手作りな生活。
少し寒かったので、薪ストーブを焚いてくれました。 
 
漉いた紙は、ストーブの前であっという間に乾きました。 

 
 
 
 
エブリンのアトリエは、水路が二つに分かれた角に建っています。地図で見ると中州になります。
ベルギー人の友達はみんな、ここを島(île)と呼んでいますが、日本で島というと海に浮かんでいるものですよね。
私が、「違うよ、ここは島ではなくてNAKASUなんだよ。」というと、みんな中洲、中洲というようになりました。
もともと、川から砂利を引き上げる機械を動かすためのタービンを設置したのがこの建物でした。
ですから、大きな古いモーターが、未だに一階部分に残されたままです。
昔から、ベルギーにはたくさんの水路が作られていて、輸送の手段になっていました。
大きな河を全て水路で繋ぐ、というのはベルギー人の悲願だったようです。
産業革命後、川や水路のそばには大きな工場が建設され、輸送や工場排水に使われていました。
場所によっては、今でも汚染されているところもあるようですが、今、ここの水路には魚が泳いでいます。
釣り人もちらほら。 
機械が使われなくなってから、この建物は鳩小屋になっていました。
持ち主がなくなってずいぶん経ってからエブリンが買い取ったのですが、まず、やらなければなかったことは、1000羽の鳩を追い出すことと、何トンもの鳩の糞を建物から掻き出すことでした。
 
ワークショップの二日目の朝、少し早めに起きてその辺を散歩しました。
朝霧が水路に落ちて、そこら中真っ白です。草には霜が降り、それを食む羊たちが不思議そうにこちらを見ていました。
霧の向こうから、打ち捨てられた機械が恐竜のように顔を出している様子は、全く違う世界に行ってしまったような、神秘的な風景でした。


 


作品を展示するために、ここに戻ってこれたのは、私にとっては嬉しいことでした。
長年ベルギーに住んでいて、多少飽き飽きしているとこともありますが、時々出会う不思議な風景が、私をここに引き止めています。
恋に落ちるように、ある日突然出会ってしまうのです。 
エブリンの「中州の鳩の家」も、そんな風景のうちのひとつなのかもしれません。
 
さて展示のために1日早くレシンヌにやってきました。
私の恋する家は、以前よりずっと綺麗になっていました。エブリン頑張ったね。 
彼女は、二人の息子を育て上げたたくましいシングルマザーですが、なんでも自分で作ってしまう、スーパーウーマンでもあります。
今回の展示には次男くんが参加していました。なかなか使えるいい男に育っているようでした。エブリンさすがです
 
アーティスト仲間が集まり、設置が終わった後は庭の野菜を料理して、みんなでテーブルを囲みます。食べて飲んで喋って。楽しい時間を過ごしました。 
次の日から、お客さんを迎えます。

 
これが私の作品。コラージュやデッサンの混ぜこぜです。

最初はみんな「マスクなんてつけない」と言っていたのですが、ビジターの人たちのためにしないわけには行かなくなりました。いいお天気だったので、暑い中のマスクはなかなかきつい。でも、大盛況だったのは喜ばしいことですね。
 

 
レシンヌをいう街ですが、画家のルネ・マグリットが子供の頃住んでいたところだったと、今回初めて気が付きました。
本を読んで知っていたはずなのに、全く気が付きませんでした。
マグリットの母親は、ここで水死したのです。入水自殺とも言われています。
この出来事は、マグリットの作品に大きく影響していると、色々な本に書かれています。
実は、私の住んでいるところのすぐ近くにも、マグリットが住んでいた家があり、今では美術館になっています。マグリットが描いた家の電灯や柱など、モチーフになったと思われるものがが見られます。当時は台所で絵を描いていたとか。
去年、この美術館のイベントがあり、日本食を作って欲しいという話もありましたが、予算が少なくてキャンセル。残念だったなあ。

 
マグリットの足跡が、徐々に点から線になってきているように感じです。
レシンヌでは、思いがけなくマグリットの幼年期に思いをはせることになりました。
駅の近くにある、マグリットの生家です。。。が、エブリンによると、どうやら適当な家にプレートが付けられている、とのこと。歴史は塗り替えられていますね。
 







 
 
 
 
 
 
 
 






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