スリランカ回想 最終章

ベルギーのロッウダウンも、7月1日から大幅に緩和されます。
ヨーロッパ圏内なら、旅行もできるようになりました。
そんな中、フランスでは感染者数が増え続けていて、第2波が来たのかと言われています。
夏のバカンス時期ですから、これからますます人の移動が多くなる時期です。
リスクがあっても旅行に出るか、それぞれの判断に任されることになりますが、みんなの開放感が止まるようには思えません。これからどうなるか。
インドに取り残されている友人のマイケルは、相変わらずゴアから動けずにいます。 
6月に行く予定だったネパールも国境を閉ざしたまま。
アメリカの友人が、帰ってからのサポートをしてくれるという話もあったようですが、暴動が収まる様子もなく、感染者が増え続けるアメリカに帰るつもりはないようです。
だいたい、アメリカ行きのチケットが2000ドルするそうで、 インドでサバイバルする方法を模索しているとか。考えてみれば、彼は、私と待ち合わせをするためにゴアに来たわけなので、感染の少ないゴアにいたのは良かったのか悪かったのか。
申し訳ない気もしてきます。


ところで、スリランカ最後の3日間の話をしたいと思います。
1日目、ビーチ好きの私としては、とりあえずコロンボのビーチも見ておきたい、というわけで、海岸の方へ出かけて行きました。
辿り着いたところは、旅行2日目に電車の中から見た場所でした。
ああ、ここだったのか、と、すぐにあの時の風景を思い出しました。
線路のすぐ脇にスラムがあって、その向こうにビーチが広かっています。
それなりにカフェのようになっているところもあります。
線路にはもちろん踏切などないので、住民は適当に電車が走っていない時に横断しているようでした。

 
スラムのバラックが切れたあたりから、新設中のホテルが立ち並んでいます。
今、コロンボはビジネスチャンスとバブルの時期なんだそうです。
街中にも新しいビルが立ち並んでいますが、中国資本のものが多いようです。
この辺りのスラムも、そのうち立ち退きを迫られるのでは、と想像してしまいます。
その後、彼らが行くところはあるのでしょうか。
こんなに隣接していても、ホテルのラウンジでくつろぐ人たちにとって、スラムのバラックはないに等しいのかもしれません。南部のビーチで、誰も見ていない夜のカニを見ていた時と同じような気持ちになりました。
その時の話はこちら。


これからも、コロンボの大きなホテル群は、街とビーチを断絶しながら増殖していくことでしょう。 
それを人は発展というのかもしれませんね。
でも、私はそこに幸せがあるようには、とても思えないのでした。
ここでものんびりと泳ぐ気にもならず、 ビーチ沿いを延々と歩いてふらふらになりました。




2日目、コロンボでは、ちゃんと美術館なども見ておきたいと思っていました。
ところが、私がアエロフロートと連絡を取っている間に、スリランカのロックダウンが本格的に始まり、ほとんどの美術館が閉館していました。
見ておくべきだったNatinal Art Galleryも、もちろん開いていません。
ネットで調べたところ、Saskia Fernando Galleryだけがオープンしています。
行ってみるとこれが大当たりで、小さいながらとてもいい展示をしていました。
 冷房も効いているので、いつまでいるんだというぐらい長く居座っていたと思います。
ギャラリーのサイトはこちら。


ローザンヌでマネージメントを勉強したSaskiaさんが2009年に立ち上げたギャラリーだそうです。
私が立ち寄った時は、ベルギーのアーテイストFabienne Francotteの展示をしていました。ドローイングが中心の小さな作品ばかりでしたが、とてもベルギー的というか、まさに、私が聴講生として通っていたブリュッセルの美術学校、La Cambreスタイルと言っていいような作品群でした。




わざわざスリランカまで来て、ブリュッセルが追っかけてきてるような不思議な感覚でした。特に住むところを選んでブリュッセルにたどり着いたわけではないんですが、やっぱり縁が深いのかもしれません。

離婚の手続きのために一時帰国し、ブリュッセルに戻ってきた頃のことですが、王立美術館でFernand Khnopffの回顧展がちょうど開催されていました。それを見に行った時に、自分がブリュッセルに戻ってきた理由はこれなのかと感じました。
小さなパステルの粉で陰影をつけられた、小さな小さな女性の顔のデッサン。
なんだか背筋がゾクゾクして、そのデッサンのところに何度も戻って見ていました。
今回もまた、何か引っ張られて、このギャラリーに来てしまったのか。 
寒くて雨が多くて、ああ、もう嫌だ嫌だ、と言いながらずっと住んでいるのですから、見えない磁力に引きつけられているのかもしれませんね。


アーティストのバッチ買いました。こういうバッチ作りもブリュッセルのクリエーター仲間の間で流行ってるのです。もしかしてファビアンヌさんは私の友達の友達か?
このギャラリーには、他にもスリランカの現代美術のアーティストのカタログや本が置いてあって、それを見るのもすごく面白かったのです。
もしかしたら、Natinal Art Galleryに行くよりも充実した1日だったかもしれません。 


3日目、荷物をまとめて空港に向かいました。
フライトは明後日なのですが、朝早い便なので空港の近くに宿を取ることにしたのです。
実は、その日の朝、アーユルベーダーをしてもらうつもりだった女性から「空港が閉鎖されてる」というメッセージを受け取っていました。
一瞬焦りましたが、アエロフロートからは何も知らせが来ていなかったので、きっと出発便に関してはまだ動いているものと判断しました。

まず、バスセンターに行きましたが、国営の空港バスは走っていませんでした。
あっちへ行ってみろ、という従業員の指差す方に行ってみると、小さなバスが臨時に空港まで出ていることがわかりました。 大きな荷物を抱えた旅行者で満席でしたが、何とかねじ込まれ出発することができました。
私はホテルに行くために、空港の少し手前で降りなければなりません。
運転手に、何度も一つ手前の駅で降りると念をおしたのですが、なんとなく予感していた通り空港まで連れて行かれてしまいました。
仕方なく、TucTuc Uberを呼びましたが、なかなか空港前に到達できません。
待っている間、出発ロビーの入り口を観察していると、西洋人がチケットカウンターに群がりすごい列になっていました。近くにいたフランス人になぜ並んでいるのか聞いたのですが、「わからない〜」とのこと。すべては明日だと腹をくくりました。
結局、TucTucが空港の構内に入ってこれないということがわかりました。
フェンスの外で落ち合ってやっとホテルに到着しました。

ホテルがあったのは、ただの郊外の田舎町でしたが、実は、今までで一番心穏やかになれた場所でした。 
どこまでも続く商店街があり、マーケットではたくさんの野菜が売られています。道幅が大きくて歩きやすいし、みんなのんびり買い物をしているように見えます。
なんだか懐かしい感じもします。
マーケットを見てそぞろ歩きしている途中、商店のおばさんが私の顔を見て、はっと口を手で塞ぎましたが、私がわざと咳をするふりをすると、おばさんも周りで見ていた人たちもみんなわっと笑い出しました。





そして、ホテルの反対側に行ってみると、うねうねと続く舗装してない田舎道が続き、畑があったり、お寺があったり。起伏のある土地で、家の向こうのジャングルが見渡せます。
歩いているのは、近所の中学生とか地元のおじさんぐらいです。
風と鳥の声しか聞こえない。自然に立ち止まって深呼吸をしていました。
一人でどこまでも歩いてしまいそうになりましたが、途中で先に行くのを諦め、暗くなる前にホテルに戻りました。自分が、こういう普通の風景を求めていたんだなというのに気がつきました。
もう、明日は帰ってしまうのに。旅行というのは、思い通りにいかないものですね。
商店街で、お持ち帰りの食べ物を見繕ってホテルの部屋で食べました。
今までは、食堂の席について食事をして、最後にミルクティを飲む、と決めていたんですが (スリランカのミルクティはうまいです)、さすがにロックダウンが始まった後には、同じようにする気にはなれませんでした。




そしていよいよ次の日の朝、またTuctucを読んで空港に向かいました。
空港内にはスムーズに入れました。タイムスケジュールを見ると、キャンセル、キャンセル、キャンセルの文字が 並んでいます。
その中で、モスクワ行きの飛行機はキャンセルにならずに私を待っていてくれました。
チェックインカウンターで搭乗券をもらう時になって、「ブリュッセル行きの搭乗券は、モスクワでもらってください。」と言われました。
それって、かなり不安な成り行きですね。本当に次の搭乗券もらえるんですか。本当に飛行機飛んでるんですか。と聞いてみても、「私たちにはわかりかねます。」という返事しか返ってきません。
覚悟を決めて飛行機に乗りました。隣に座っていたのは山のように大きなロシア人のおじさんでした。エコノミーの狭い席でこれは運が悪かったかもと思いましたが、大きいおじさんはほとんど動かず、全く邪魔になりませんでした。 びっくり。
飛行機の中では、60年代のお笑いロシア映画(ソビエト映画ですね)を堪能し、しばし不安を忘れました。 
モスクワの空港では、ちゃんとトランジットカウンターが設けられており、すぐにブリュッセル行きの搭乗券をもらうことができました。
搭乗カウンターまで来るようにとアナウンスがあったので行ってみると、飲み物券をくれました。飛行機は3時間ぐらい遅れていたので、そのお詫びのようでした。
ところが、どのお店に行っても飲み物券を受け取ってくれるところがありません。あちらへこちらへのさまよっていると、私と同じ飛行機に乗るはずの人たちが、片手に飲み物券を持って、同じように あちらへこちらへウロウロしています。一人よりも団体の方が可能性があるかと思い、5人でさまよっているグループの後ろにくっついて、ミネラルウォータの瓶を一本ゲットすることができました。
そして、とうとう飛行機はブリュッセルのザベンテム空港に到着。
ベルギーのIDカードを持っている者はロックダウン中でも入国できるはず、ということは聞いていましたが、もしもの事もあります。最後まで緊張を緩めることはできません。
空港は、いつもより人影が少なく、私と同時に入国審査を受けた人たちは、滞在許可もないようで、なかなか苦戦しているようでした。私は、その人たちを横目に、無事審査を通過し外に出て行きました。ふっと力が抜けました。

これでスリランカ回想は終わりです。

こうしてブリュッセルに戻ってきましたが、しばらくは日本に帰ることはできませんね。
もともと、次回は年末かと思っていましたが、それもどうなるかわかりません。
私たちの世界は変わってしまいました。
今やるべきことは、 3ヶ月間にやろうと思ったことと同じではなくなりました。
それが、何かというのは、おいおいわかってくることでしょう。
 

 









 














 

コメント

  1. 旅、すごい大変でしたね。このギャラリーへ行けてよかった、私の知らないアーティストだけど、これがベルギーのスタイルなのね。まさに! ですね。これも縁。

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    1. 旅を回想するのって面白いなと気づきました。今回はコロナがあって、ちょっと特別な旅だったけど、案外細かいことまで覚えてるなって。昔の旅行についても書いていこうかな。少しずつ思い出しながら。

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