スリランカ回想 右往左往

今週から、ブリュッセルのカフェもオープンし始めました。
私が昔住んでいたマロール地区の蚤の市も、再開したと聞いています。
今は、まだ、公共交通機関を使うときは、マスク着用が義務付けられています。
今まで、どんなに風邪をひいていても、外でマスクをつけるというのは違和感がありました。今、みんながつけてるというのは不思議な光景のようにも感じられます。
そして、友達にも会えるようになりましたが、さすがにビズ(ほっぺにチュッチュとする挨拶です) はしません。
私は、このビズという習慣が好きです。日本では、初対面の人の体にはほとんど触りませんが、初めて会った人と顔をくっつけ合うという習慣は驚くべきものです。一気に相手との距離が縮まるのですから。ビズはいつから再開されるのでしょうね。
ちょっと寂しいです。

さて、スリランカの旅の話も、そろそろ終盤です。
ふらふらと一人で、南部を旅行していましたが、その後、世界的パンデミックのパニックは一気に加速していきました。
まず、日本から来るはずの友達が、マレーシアエアラインに問い合わせたところ、コロナ騒ぎで、クアラルンプールのトランジットで2、3日止められる可能性があると言われました。日本では、すでに全面的に休校になっていますし、家族のことも心配ですから、スリランカ行きを断念するという知らせを受け取りました。
それはそれで仕方ありません。いざとなったら、カフェのランチも一人で作る覚悟をしていました。
ところが、そんな余裕のあることを考えて入られたのもその時までで、スリランカの状況も大きく変わりつつありました。
私は、阿佐ヶ谷でスリランカ料理とお酒の店をやっている友人からの紹介で、コロンボの郊外に住むスリランカ人の女性とコンタクトを取っていました。 
アーユルベーダを体験したいと思っていたので、彼女のゲストハウスで施術してもらおうと思っていたのです。 スリランカのアーユルベーダは、インドよりも歴史が古いと言われていますから。
コロンボのカフェに行く前に寄るつもりで予約を入れていたのですが、突然電話がありました。
どうやら、世界のコロナ感染者の増大によって、スリランカ人も用心し始めたらしく、彼女の話では、田舎の住宅地に日本人が泊まるのは、あまり歓迎されないのでは、という話でした。
彼女自身、小学生の子供がいるということですから、私の方からキャンセルしました。
「私は気にしないんですけど」と言ってくれていましたが、迷惑はかけたくありません。
当時は、まだ、スリランカの感染者は2人だけだったと思います。
そんなわけで、日程を前倒しして、コロンボのカフェに行くことにしました。
ベルギーにいるオーナー に連絡すると、ベルギーのサロンも閉鎖になってしまったので、自分もコロンボに行くつもりだと言っていました。カフェで落ち合って、この先どうするか話し合うことにしました。
高速バスを乗り継いで、コロンボまで。冷房は効いてるし、すごく快適でした。
行きの地獄の電車移動はいったい何だったのか。
その話については、こちらの回を読んでみてください。

スリランカ回想 ビーチへ
https://sachiyohonda.blogspot.com/2020/04/blog-post_15.html 


 到着したカフェは、静かな住宅街にある素敵なスペースでした。

ここは、Noriko Matsushitaというお店です。
美容院、カフェ、ヨガ教室、などのスペースがあり、アーティスト登録をすると、旅行しながら表現の場が得られるという、画期的な試みにチェレンジしているお店です。
ゲストハウスにもなっていて、ドミトリーの部屋に一人で泊まることができました。

リンクはこちら。

結論から言うと、わたしとオーナーの典子さんは、コロンボで落ち合うことはできませんでした。
飛行機に乗る寸前、息子さんのビザが取れていないことがわかり、出発することができなかったのです。その後、スリランカもロックダウンに突入していきます。
コロンボの美容院の責任者の方も、ビザ更新の関係で日本に帰っている間に出国できなくなりました。
たまたま、インドのポンディシェリーでヨガを習って、スリランカに寄ったというご家族が滞在していましたが、私と入れ違いで、日本に帰ることになっていました。
ここでも、私は、一人でポツンと残される身となりました。

このまま、一人でカフェを開けておくこともできません。典子さんは、しばらくお店を閉める決心をして、私は、その後2週間の滞在中、何の当てもなくなりました。
そのまま、北に向かって、山の中で生活している人たちのコミューンに滞在させてもらおうかとも思いました。インドで合流するはずだった友人のマイケルが、そのコミューンの連絡先を教えてくれたからです。
このまま、山の中で瞑想して過ごすのはいいかもしれない、と一縷の望みを繋ぎました。
最初の電話では、好きな時に来ていいよ、と言ってくれたのですが、2日後に断りのメッセージがきました。外から来る人をみんな怖がっている、とのことでした。
もちろん、コロナウイルスを運んできてほしくないのです。

その時には、EUが国境封鎖を決め、ベルギーからのメッセージも入ってきていました。
モロッコもロックダウンに入り、飛行機が飛ばなくなったので、たくさんの旅行者が、乗れる舟便を探して、右往左往しているという話。
今のうちに帰ってこないと、飛行機の便がなくなるよ、とのことでした。
感染者がどんどん増えているベルギーに帰るというのは、かなり腰の引けることでした。
その上、私が乗るのはアエロフロート。モスクワの乗り換えで、ベルギー行きの便がなければアウトです。なんの当てもないモスクワから出られなくなったら、と考えると恐怖です。
それなら、日本に行った方がいいのでは、と言う考えも浮かびましたが、とりあえず、便の変更ができるかどうか調べることにしました。

まず、アエロフロートの事務所に電話しましたが通じなかったため、事務所まで行ってみました。古いマンションの一つが使われているようで、呼び鈴を鳴らしても誰もいないようでした。考えてみれば、電話が通じないのですから、誰もいないのが当たり前ですよね。
ベルギー暮らしで、わからない場合はとりあえず行ってみる、という癖がついているもので、早まったようです。
そろそろスリランカもロックダウンが始まると聞いていたので、一瞬、すでに遅かったかっ?と思いましたが、その日はたまたま休日だったようです。ほっ。
次の日、もう一度電話をすると、50ユーロの追加でチケットの変更ができるとのこと。
TucTucを走らせ、銀行にお金を振り込みに行きました。
受付に並んでいたら、後から来た親父に割り込まれ、並んでいる全員の目が点になる、というハプニングもありました。
最終的に振り込みも無事終わり、なんとか、3日後の便に乗れることになりました。
スマートフォンがあって、本当に良かった〜。アエロフロートの職員の対応も早かった。
感謝です。 

さて、最後の3日間をどう過ごすか。
それが問題です。



















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