スリランカ回想 かつてそこにあったオランダ

ベルギーは、ロックダウンも次の段階に入ったということで、少しずつ解除に向かっています。
公共交通機関の中でのマスク着用は義務付けられていますが、天気のいい週末、外でマスクをする人は、ほとんどいません。車の量も通常に戻りつつあります。
ロックダウン中の静けさに慣れてしまって、騒音や人混みがなんだか辛い。
外に出たら出っぱなしですが、家にいたらいっぱなしになってしまう私です。
世界が動き出すと、引っ張られて、何かしなきゃ何かしなきゃ、と思考にアクセルがかかってしまいがちです。
あっちにもこっちにも手を出して、一つのことに集中できず、くるし〜、となるのが、私の悪い癖なのです。
ここのところのんびりと家にいて、今まで作ってみたかった料理を試してみたり、やっと芽が出たかぼちゃの芽を、目一杯甘やかす毎日。以前のペースに戻りたくない。

少しずつ遠のいてきているスリランカの旅のことを、もう少し思い出してみたいと思います。短い旅行でしたが、まだまだ語りきれていません。
先日、Weligamaで知り合ったTucTucの運転手、Nihalさんから連絡がありました。
彼は、外国人研修制度を利用して、日本で働いていたことがあります。今、息子さんが、日本の高校に通っているそうです。
スリランカもロックダウン中。日本も自粛中。日本の息子さんとWhatsappで話をしたばかりだと言っていました。日本の高校も休校中ですから、どんな暮らしをしてるんでしょうね。
またWeligamaに行くことができたら、是非、Nihalさん宅に、ご飯をご馳走になりに行きたいと思います。招待されていたのに今回は叶いませんでしたから。


さて、クジラを見に行った後、スリランカの南でもう一つ行きたいところがありました。
それは、かつての植民地時代に作られたGalle Districtゴールの砦です。
14世紀にポルトガルが造った砦を、16世紀にオランダが今の形に拡張しました。
その後、イギリスに引き渡されることになります。
私がゴールに興味を持ったのは、そこでオランダから伝わったボビンレースを編む人たちがいるという記事を読んだからです。
私の住んでいるベルギーでは、ボビンレース編みが有名です。以前、オランダとベルギーは一つの国でしたから、レースはベルギーから伝わったのではないかと思われます。
ベルギーでは、中世からレース産業で栄えたことから、今でも特産品として作られています。しかし本当のところ、レース産業は虫の息です。
手作りのレース編みは大量生産できませんし、工業化された現代、レースを編んで生活をすることはできません。16世紀ごろ、女の子が自立できる花形の仕事だったけれど、今、若い人たちは、レース産業で働いたりはしません。
以前、私が日本人旅行者の方たちに必ず紹介していた、ブルージュのレース屋さんも、何年か前に閉店してしまいました。オーナーは、歴史的な産業を残すための援助を、国に何度も申請しているけれど、何も起こらないと嘆いていました。
そんな中、スリランカでボビンレースが編まれているというのは面白いことですね。

 これは、以前にアントワープの展示会で撮った、ベルギーのボビンレース編みの写真です。

Galleへは、Weligamaからバスで行くことができます。
あのバスの激しい振動を思い出します。 
朝から海岸線を走る路線バスに乗り込みました。 人のいない、小さな海岸をいくつも通り過ぎました。なーんだ、ここまでくればのんびりできたんだな、とよくわかりました。
サーファーに囲まれてストレスが溜まってるなんて、私も焼きが回ったものです。

ゴールの街は、半島になった砦の部分と市街地の二つのパーツに分かれているように見えました。市場のあたりは賑やかです。
バスを降りて、砦に向かって歩いていると、小さなおじいさんが話しかけてきました。いく方向が同じだったようで、歩きながらおしゃべりしました。
役所のガードマン(小さなおじいさんですので、門番なのかもしれません)の仕事をしていて、今年で定年なのだそうです。お昼休みが終わったので、これから仕事に戻るところだと言っていました。
おじいさんと別れたと思ったら、今度はTucTucが近づいてきて、パッケージガイドのセールスに余念がありません。一人断っても、また一人と近寄ってきます。
お腹が空いていたので、一人の運転手に、地元のレストランに連れて行ってもらいました。ご飯を食べ終わるまで待っているというのですが、私は一人でぶらぶらしたかったので断りました。ごめんね。ご飯はとても美味しかった。



おなかいっぱい食べた後、砦の中に入りました。不思議な静けさ。
砦の中は、車がほとんど走っていません。半島は、ヨーロッパ風の建物と小道と教会で埋め尽くされています。


 
博物館には、かつてオランダから持ち込まれたであろうレースが展示されていました。

遠く離れた国に移植されたレース編み。私は、レースの小さいハンカチを見ると、いつも千利休の話を思い出します。
本当かどうかは定かではありませんが、お茶の作法で欠かすことのできないふくさは、大阪の商人だった千利休が、オランダから運ばれた小さなレース編みのハンカチからインスピレーションを得て作り出したもの、という仮説を読んだことがあるのです。
当時、キリシタン大名もいましたし、日本でも手に入ったのかもしれません。
すでに16世紀、世界はつながっていて、小さなレースのハンカチが海を渡ってきたことを想像しました。
同じように、人伝いに、ウイルスも海を渡ってきたんですよね。どの時代にも。海を渡るのは美しいものだけではありません。
残念ながら、スリランカでレースを編んでいる人を実際に見ることはできませんでした。
お土産品として売っているおばさんがいましたが、工芸品として扱われているようではない、ということだけわかりました。

午後の日差しは強く、とても歩き続けることはできません。
喉が渇きが最高潮に達していたので、落ち着けるカフェを探しました。
砦の入り口にある立派なホテルのテラスでは、お金持ちそうな人々が日陰を楽しんでいます。ちょっと気後れした私は、もう少し我慢して、先に進みました。
小道の中頃に、小さなカフェがありました。小さなテーブルを道に並べています。入り口には「町一番の美味しいご飯」とフランス語で書かれています。
そこで、私は、大きなグラスのアイスレモンティーをお代わりした上に、大きな瓶のミネラルウォーターまで注文しました。どれだけ水分が足りなかったんでしょう。危ないところでした。
i-phoneの電源が切れかけていたので、中で充電させてもらいました。
中は自宅になっていて、奥さんが作ったバティックの商品が売られていました。
すっかり落ち着いてしまって、長いことそこに腰を下ろしていました。


テーブルの脇には、ハラルの店の証明書なるもの飾られていて、不思議に思いました。
だって、ハラルはイスラム教徒の人たちが食べるものです。ヨーロッパ植民地時代の砦にハラル?その上、ここは仏教国。
テラスで新聞を読んでいたご主人に聞いたところ、彼はアルジェリア人なのだそうです。
ご両親と一緒にスリランカに来て、彼はこの家で育ったそう。
詳しくは聞きませんでしたが、アルジェリアの独立戦争なんかも関係あるのかもしれませんね。人の歴史というのは千差万別です。
そんなことを考えていると、コーランの音色が聞こえてきました。小道の先には新しいモスクがあるのだそうです。なんだか不思議な気分です。
スリランカという異国に混在するキリスト教寺院とモスク。
イスタンブールに行った時も、街の真ん中にあるアヤソフィアに心打たれました。モスクに囲まれたキリスト教会。それも周りのモスクと一体化したようにバランスを取っていました。

水分補給でやっと生き返った私は、散策を続けました。
砦の向こうは海です。遠くどこまでも先まで見渡せます。ビーチとは全く違う、時間が交錯した海です。



フランスのサンマロからみた海に似ています。サンマロも砦に囲まれた街です。
波は砦の壁に突き当たって弾けます。砦の上からは、水平線が盛り上がって見えます。地球は丸くて、船はあの水平線の向こうからやってくるのです。
人間は貪欲に、海の向こうにあるものを求めます。帰ってくる船にはいろんなものが積まれてくるのです。後ろを振り向けば、砦に守られた街が見下ろせます。
かつてヨーロッパ中世の町が 、城壁で守られていたように。自然と切り離された形で。
この海の向こう側に、サンマロの砦があるのかもしれないな、と私は妄想していました。

暗くなる前に、ゴールの街を離れました。
せっかくここまで来たのだから、Hikkaduwaのビーチにも寄っていこうと思ったのです。
スリランカの旅行サイトで、すごく美しいビーチと書いてあったので。
先ほどの豪華なホテルのテラスの前を再び通り過ぎた時、入場する人の体温を一人ずつ測っているところでした。スリランカで初めて、コロナ対策をしている場面を見た瞬間でした。

Hikkaduwaの街に到着した時は、太陽が沈んだ後でした。HikkaduwaはWeligamaよりももっと観光地でした。
夕食のレストランを探すたくさんのロシア人がウロウロしていました。モスクワからコロンボ行きの直行便があるんですから、みんな太陽を求めてやってくるのでしょうね。
今はアメリカに次ぎ、コロナの感染者が二番目に多いロシアですが、このころは、まだみんな、たかをくくっていたのですね。 
私は、人もまばらな、日が沈んだ海でちょっとだけ泳ぎ、売店で立ち食いをして、再びバスに乗り込みました。売店では、ひよこ豆を油で揚げたものが売っていました。ちょっとスパイシーで、なかなかいけます。
帰りのバスでも、満席でぎゅうぎゅうな中、大きなロシア人は空間的に大きな場所を取っていました。一生懸命小さくなろうとしてるような姿が、なんだか気の毒のようにも見えました。
結局、Weligamaに戻ってきたのは、夜の9時頃。
私は、すっかり勘違いしていて、HikkaduwaはGalleとWeligamaの間にあるのだと思い込んでいましたが、実は、もっと先の方に位置していたのです。だから、帰ってくるのに、とても時間がかかってしまいました。暗闇の中、この辺りかと思うところで、バスから飛び降りるのも、なかなかスリルとサスペンス。
この日の夜も泥のように眠りました。また、スリランカに来ることができたら、ゴールの街に泊まってみたいと夢想しながら。


   

















 


 

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