スリランカ回想 クジラを追う


相変わらずロックダウンの最中ですが、家にこもっているだけでも、やることはいっぱいあります。
天気がいいから洗濯しなきゃ。庭の雑草もとって、芽が出たミョウガには水をあげないと。割れた食器があるから金継ぎして、穴の開いたセーターは修理して洗ってしまおうかな。今のうちに桜の葉を塩漬けにして、桜餅はいつ作る??などなど。
もうすぐ、柏の葉も大きくなるし、よもぎも元気だから取りに行かないと。本当に春は忙しい。
そんなことをしていたら、外に何かアレルギーのものがあったらしく、顔が腫れてきてしまいました。薬を飲んで少しおとなしくしていなければなりません。

スリランカの旅の話を、また少し書こうと思います。
最初に告白してしまうと、私が1日かけて辿り着いたビーチは、思っていたような場所とはちょっと違いました。
Weligamaは、そこそこ波が高い長いビーチで、サーフィンのスクールがあり、欧米人のトロピカルビーチを求める人たちであふれていました。私が泊まったホテルは特に、理想的なバカンスを求めて来た若者だらけでした。
遠い昔に行った、タイのコパンガンの小さな、誰もいないビーチを期待していただけに、ビーチでのんびりの夢は、再度打ち砕かれました。
ビーチが見えるホテルのドミトリーに泊まったりしているのだから、当たり前といえば当たり前なのですが。


移動している時はとにかく必死でしたが、ホテルで少し落ち着いてから、日本の友達がスリランカに来れないかもしれないとうニュースが届きました。ベルギー人の友達が亡くなったという知らせを受け取ったこともあり、心はザワザワしていました。
世界のコロナの感染状況を毎日チェックしながら、手放しでバカンスなんていう気分でもなくなってきました。
私の部屋の若者たちの会話を聞いていると、大学出たての子たちばかりのようで、みんな、昼はビーチ、夜はパーティーと、遊ぶ気満々で、コロナの感染拡大について気にしてる様子も人ありません。
スリランカ人にも、サンダルを買った時に定員さんに話を振ってみましたが、何の話をしてるかよくわからん、という風でした。
なんだか、自分だけ違う場所にいるような感じがしていました。

でも、ここまで来た目的は、もうひとつ。クジラを見に行くツアーに参加することでしたから、気をとりなおして予約を入れました。
朝早く、Merissaの港に行くために、TucTuc (バイクのタクシー)が迎えに来てくれました。
港には、軍警察がいてチェックをしています。政府の管轄になっているようです。
幾つか並んでいる船の一つに乗り込み、セーフィティベストを来て出発です。
朝6時半。日が昇ったばかりの空は、息をのむほど綺麗でした。


 乗客は、シベリアの方から来たとみられるロシア人女性の二人連れ。それからアメリカ人のカップルと、びっくりするほど可愛くない赤ちゃん。 (心の中でちょっと思っただけですよ。大きくなったら可愛くなるかもしれないし)
ずっとセルフィーで写真を撮っているお色気カップル。彼らはどこから来たのか全くわかりませんでした。色黒で筋肉自慢の彼と、真っ白で大きな胸がシャツからほとんど飛び出してる彼女。言葉も聞きなれないものでした。他にも、インドから来たと思われる家族や、大学生と思われる若いグループ。
船はかなり激しく揺れましたから、近くにいたインド人のおばあさんが船に酔ったようでした。みんなが船内をウロウロする中、一度も席を立ちませんでした。彼女はちゃんとクジラを見られたのかな。




1時間以上沖に出てから、ガイドがクジラの説明を始めました。ここの海にいるのはシロナガスクジラです。
シロナガスクジラが生息するところは、かなり海が深いところです。時々息をするため海面に上がってくるので、そこを狙って、船が接近するのです。
一度息を吸ったクジラは、海に潜り、何分か待つとまた上がってきます。
ガイドのお兄さんは、とても慣れている様子で、超音波計の影を見ながら、船長に指示を出しています。 
たまに、クジラがジャンプするところが見られますが、それは運次第ということ。
私は、最初から船のバランスが悪いと感じていて、そのせいでナーバスになっていました。 
背の高い船の一番上の階に、参加者のほとんどが乗っているのです。
クジラが見えたという声とともに、みんな一斉に移動するのですから、その度に船は、右に左に傾きます。
出航してすぐ、警察のパトロール船がこちらを目視し、そこを通り過ぎたあとは、みんな一斉にセイフティベストを脱いでしまいました。ベストを着たままだと、動きにくいし暑いし、気持ちはわかりますが、誰も不安を感じないことに驚きました。
こんなユラユラとした船なのに、誰一人心配していないってこと。
私の血液型が心配性のA型だからなのでしょうか。または日本人だから? 私の頭の中には、セウル号沈没の記事が、浮かんでは消えていきます。
ベストを脱いだために溺れてしまう乗客や、責任を問われる船長の姿。
だって、ここは、シロナガスクジラが生息するほど、ふかーい海なのです。
世界はもう終わるのだという気分になっていました。

シロナガスクジラは、何回も私たちに姿を見せてくれました、塩を吹き上げて、また海の底に戻っていきます。一瞬の出来事ですから、私が取れたビデオはこれくらいのものです。
以前、カルカッタで、ベンガルトラを見るツアーに 参加したことがありました。ベンガル湾から船に乗り換えて、湿地に住むトラを見るのです。その時は、トラの姿はなく、ワニぐが水際でのんびりしていただけでした。マレーシアで海亀の出産を見に行こうとした時も、天候が今ひとつで見ることはできませんでした。それに比べれば、大進歩と言えるでしょう。
背中を見ただけでも、とても美しい動物だなと思いました。
しばらくすると、他の船もどんどん集まってきて、一斉に同じ方向に走り出しました。
隣を走っている船を見ていると、クジラを追っかけている人間たちは、本当に、滑稽に見えました。
私はとても恥ずかしく感じていました。クジラにもモウシワケナイような。
これは、最近、ケルンの動物園に行って感じたことでもあります。
私たちが、動物を閉じ込めてオリの外から眺める権利があるのだろうかと。
そして、動物園には2度と行くまいと思いました。
以前には感じたことのない違和感。これも私が年をとったのと、時代の流れに、思考が巻き込まれているからなのかもしれません。最近、動物園を廃止する国も出てきているというニュース聞いたりして。
子供の頃、ボロボロになるまで、動物図鑑を毎日飽きずに眺めていました。野生動物の紹介テレビ番組も欠かさず見ていました。動物園に何回も写生しに行きましたし、今回も、わざわざ船に乗りました。でも、野生の動物と共存するなら、こういう方法ではないのだという違和感、焦り、なのかもしれません。
自分でもはっきり説明できません。
幸いなことに、ここのシロナガスクジラは、スリランカ政府の調査の対象になっています。
保護されているので、人間が狩ることはできません。

この日の夜は満月で、夜のビーチで、魂のような白い蟹を何匹も見たのでした。
私は、みんなでクジラを追うよりも、誰も存在にすら気がつかない、夜の蟹たちを眺める方がずっといい、と感じていました。
















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