スリランカでしんみりしていたのもつかの間、ベルギーに早く帰ってくることになりました。
現在は、ロックダウンの真っ只中です。
毎日、家にこもっています。
皆さんも知っているように、コロナビールスの蔓延で、EUが国境封鎖などを言い出したため、急遽チケットの変更をしました。
おかげで、ギリギリ戻ってくることができました。
色いろな国で、飛行機の便の規制が始まり、自国に帰れない人が出てきているという情報を、3月16日ごろからベルギーの友達から入ってきていました。
特に、私が通っていたアートセラピーの学校の先生が、のんびりしていた私にハッパをかけてくれました。義理の息子さんがインドのベルギー大使館勤めで、インドの大使館がスリランカの大使館も兼ねているため、正しい情報を早めにもらっていたんですね。その時、すでに、モロッコではフライトが全てキャンセルで、観光客が帰ってこれずに、船を乗り継いでいるという話でした。
帰ってきたあと、家で毎日のんびりしています。
まだまだ感染者は増えています。
買い物に出る以外は、毎日、ほとんど家を出ません。
あ、でもジョギング始めました。今の所、毎日走っています。
長い間夢見ていてできなかったとこが、一つ実現できています。
あとは、ネットで情報を集める日々です。
東北の大震災が起こった時も、こんな感じでした。
各国に住んでる人達が、それぞれの状況をブログに書いているのを読むにつけ、私も何かしら書いておいた方がいいのかなと思うようになりました。
イタリアに住む方が書いた、ロックダウンが始まった後のピエモンテの様子を綴ったブログ。
https://www.madamin2.me/2020/03/blog-post.html
みんなで頑張ろう的な気分が蔓延していた頃、市民は、窓際で音楽を奏で、歌を披露するなど、フラッシュモブを繰り広げていたけれど、3月19日 には、それが姿を消した時の経緯が描かれています。イタリア人は陽気だよね、と、気軽にみんなフラッシュモブの動画をシェアしていたけれど、その後の顛末は、あまり語られていません。
こういう瞬間の、ふっと火が消えそうになる感じに恐怖を感じます。
今回のスリランカ旅行に関しては、最初から予定を変更せざるおえない状況になっていました。
スリランカの首都、コロンボに 到着予定は3月9日。
本当は、コロンボからインドのゴアに渡り、友人と合流して、一緒に 1週間過ごすはずだったのですが、すでにインド政府は、3月の初めに、今まで発行したビザを無効にし、特に、当時クラスターが発生していた韓国や、ダイアモンドプリンセスの船内での感染拡大を起こしていた日本は、まず最初にターゲットにされていたため、私は日本からの渡航者でないにもかかわらず、日本のパスポートの所持者だということで、E-VISAの再発行は行われませんでした。
その時にもらった用紙がこれです。「また来週くれば、何かニュースがあるはずだ」と言われたのですが、もう出発は1週間以内に迫っていました。結局は、今に至るまで、インドの封鎖も続いています。
ゴアにいるアメリカ人の友人は、地元の音楽フェスに参加していたので、私が合流したら、フェスのオーガナイザーに日本食の作りかたを教えるとか、バイクを借りてちょっと遠くまで足を延ばすとか、楽しそうなプランを立てていましたが、とにかく、インド行きは無しになりました。ゴアにいる友人も、6月に予定していたネパール行きのチケットもキャンセルしたそうです。
今は、ゴアから出ることもできなくなりましたが、市のオーソリティーと話して、とりあえず、しばらくここにいろ、ということになったようです。よく、大家さんがご飯を持ってきてくれるようで、なかなか大切にされています。
なぜだか、いつも、何かしらラッキーな人なんですね。
私も、予定変更でがっかりしましたが、一人でスリランカをブラブラするのもいいかなと思っていました。1週間後には、日本から友達が来て、コロンボのカフェでランチを作る計画でした。
そして、食材リサーチも兼ねて、10日間、コロンボのカフェで、ガンガン働くつもりでいました。
結局、計画していたことは何も実行できませんでしたし、バタバタとベルギーに戻ってくることになるわけです。
スリランカの話を書き出すと長くなるので、続きは次回。
現在は、ロックダウンの真っ只中です。
毎日、家にこもっています。
皆さんも知っているように、コロナビールスの蔓延で、EUが国境封鎖などを言い出したため、急遽チケットの変更をしました。
おかげで、ギリギリ戻ってくることができました。
色いろな国で、飛行機の便の規制が始まり、自国に帰れない人が出てきているという情報を、3月16日ごろからベルギーの友達から入ってきていました。
特に、私が通っていたアートセラピーの学校の先生が、のんびりしていた私にハッパをかけてくれました。義理の息子さんがインドのベルギー大使館勤めで、インドの大使館がスリランカの大使館も兼ねているため、正しい情報を早めにもらっていたんですね。その時、すでに、モロッコではフライトが全てキャンセルで、観光客が帰ってこれずに、船を乗り継いでいるという話でした。
帰ってきたあと、家で毎日のんびりしています。
まだまだ感染者は増えています。
買い物に出る以外は、毎日、ほとんど家を出ません。
あ、でもジョギング始めました。今の所、毎日走っています。
長い間夢見ていてできなかったとこが、一つ実現できています。
あとは、ネットで情報を集める日々です。
東北の大震災が起こった時も、こんな感じでした。
各国に住んでる人達が、それぞれの状況をブログに書いているのを読むにつけ、私も何かしら書いておいた方がいいのかなと思うようになりました。
イタリアに住む方が書いた、ロックダウンが始まった後のピエモンテの様子を綴ったブログ。
https://www.madamin2.me/2020/03/blog-post.html
みんなで頑張ろう的な気分が蔓延していた頃、市民は、窓際で音楽を奏で、歌を披露するなど、フラッシュモブを繰り広げていたけれど、3月19日 には、それが姿を消した時の経緯が描かれています。イタリア人は陽気だよね、と、気軽にみんなフラッシュモブの動画をシェアしていたけれど、その後の顛末は、あまり語られていません。
こういう瞬間の、ふっと火が消えそうになる感じに恐怖を感じます。
今回のスリランカ旅行に関しては、最初から予定を変更せざるおえない状況になっていました。
スリランカの首都、コロンボに 到着予定は3月9日。
本当は、コロンボからインドのゴアに渡り、友人と合流して、一緒に 1週間過ごすはずだったのですが、すでにインド政府は、3月の初めに、今まで発行したビザを無効にし、特に、当時クラスターが発生していた韓国や、ダイアモンドプリンセスの船内での感染拡大を起こしていた日本は、まず最初にターゲットにされていたため、私は日本からの渡航者でないにもかかわらず、日本のパスポートの所持者だということで、E-VISAの再発行は行われませんでした。
その時にもらった用紙がこれです。「また来週くれば、何かニュースがあるはずだ」と言われたのですが、もう出発は1週間以内に迫っていました。結局は、今に至るまで、インドの封鎖も続いています。
ゴアにいるアメリカ人の友人は、地元の音楽フェスに参加していたので、私が合流したら、フェスのオーガナイザーに日本食の作りかたを教えるとか、バイクを借りてちょっと遠くまで足を延ばすとか、楽しそうなプランを立てていましたが、とにかく、インド行きは無しになりました。ゴアにいる友人も、6月に予定していたネパール行きのチケットもキャンセルしたそうです。
今は、ゴアから出ることもできなくなりましたが、市のオーソリティーと話して、とりあえず、しばらくここにいろ、ということになったようです。よく、大家さんがご飯を持ってきてくれるようで、なかなか大切にされています。
なぜだか、いつも、何かしらラッキーな人なんですね。
私も、予定変更でがっかりしましたが、一人でスリランカをブラブラするのもいいかなと思っていました。1週間後には、日本から友達が来て、コロンボのカフェでランチを作る計画でした。
そして、食材リサーチも兼ねて、10日間、コロンボのカフェで、ガンガン働くつもりでいました。
結局、計画していたことは何も実行できませんでしたし、バタバタとベルギーに戻ってくることになるわけです。
スリランカの話を書き出すと長くなるので、続きは次回。
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