たくさんの魂のこと


スリランカの夜の海を見つめながら、2004年に、ここに津波が襲ったことを考ました。南のWeligamaという町の海岸です。
私が、その海岸にいたのは、2020年3月11日の夜。
9年前、日本でも大きな津波が来て、14000人の命が奪われました。
3月11日は、その追悼の日でもあるのですが、今年は感性病の騒ぎで、オフィシャルな追悼式を行わないことになったと聞いていました。
観光客が集まるビーチは夜になると人影もなく、テラスで過ごす人たちは、ここで昔何が起こったかなどに思いを巡らすことはないでしょう。

どれだけたくさんの人が亡くなったのか、死者のことを考えながら海を見つめていると、海岸で何やら動くものがありました。
大きなカニが、暗闇を急いで走っているのが見えます。
穴の中に溜まった砂をかき出しています。
よく見ると、たくさんのカニが、海岸のそこらじゅうで忙しそうに動いています。
カニは砂と同じ色をしているので、じっとしていると全く見えなくなってしまいます。
彼らは、見ようとしなければ、私たちの目には見えないのです。
穴から出たり入ったりしているカニが、なんとなく死んだ人の魂のように思えてきました。それは、死者のことを思う人にしか姿を見せないのではという考えが、ふと頭をよぎりました。
私は、姿を見せてくれた魂に感謝し、海に向かって、すべての魂が安らかでいられるよう、祈りました。

何日か前、首都コロンボからここまでくるのに、電車に乗りました。
海岸沿いに立つ多くのバラック。そのすぐ手前を走る電車。
暑くて混んでいる電車の中では、眼前に広がる水平線を目にするのは、とても気持ちの良いものです。でも、わたしは同時に恐怖も感じていました。
前回のスマトラ沖地震の津波では、西海岸は大した被害はなかったのかもしれません。
でも、今、この瞬間に、大きな津波が来たら、バラックの家々も、そこに住んでる人たちも、私が今乗っている電車も、すべて飲み込まれてしまうだろう、と想像しました。
それはデジャブのようでもあり、ただの妄想でもあり、ありうる未来を垣間見た瞬間だったのかもしれません。
私は、数日前、昔の友人が亡くなったというニュースを受け取ったばかりでした。
ずっと会っていなかったけれど、去年の終わりごろから、何度か電話で話をしました。
今入院しているけれど、すぐ出られると思うので、いつか一緒に茶でも飲もう、と言っていました。 最後の電話では、退院後、すぐに一人で暮らすのは危険なので、間借りできる部屋を探してると言っていました。
彼が亡くなったというメールをもらった時、よく理解できませんでした。
長い間不眠症だったのは知っていましたが、突然亡くなるような持病があったようにも思えませんでした。
なぜ、すぐ気がつかなかったのか、彼が自殺したということを。
それから、彼の死についてずっと考えていました。
私は、とても死に近くなっていたのかもしれませんね。美しい海を見て、津波の妄想をしてしまうなんて。 

スマトラの海を見ながら、彼のためにも祈りました。思わぬことで亡くなった、すべての人々の魂と共に、安らかで入られますように。





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