Hommage de Gilles

3月24日、ジル・ローランさんを追悼するイベントがある、と友人からメールがありました。彼は、去年のブリュッセルの地下鉄の爆破事件の巻き添えとなって亡くなりました。
もう1年たったなんて信じられない。時間は矢のようにすぎて行きます。

ジルは、日本に住み、「残されし大地」という映画を制作したベルギー人映画監督です。


去年の3月、ジルは、映画の編集の最終段階でブリュッセルにいました。隣の部屋で編集作業をしていた日本人映画監督の友人から、東北大震災5年めのイベントを一緒にやろうという話があり、ジルの作業場でミーティングをしたことを、よく覚えています。
ジルの口利きで、スペインのカルチャーセンターでの開催が決まっていましたが、イベントの一週間前にテロ事件あり、それ以降、ジルの行方がわからなくなっていました。
結局、イベントは中止となりました。彼は、地下鉄のMaelbeek駅で爆破に巻き込まれた可能性がありました。テロリストは地下鉄の車両の中で自爆したのです。
彼の死が確認できたのは、それから何日も後です。ジルは同じ車両にたまたま乗っていたのです。わたしが彼に会ったのは、ほんの3回だけでしたが、 本当にショックでした。

あの時、なぜ、彼はブリュッセルにいなければならなかったのか。
なぜ、あの車両に乗らなければならなかったのか。
お葬式に出席し、ジルの奥さんにもお会いする事ができました。彼女から、本当なら、あのころはは日本に帰っているはずだったと聞きました。ジルは元々音響技師で、たまたま入ったイタリアの仕事があったため、自分の映画の編集作業が長引いたのでした。
また、ジルのお姉さんのアパートがMaelbeek駅に近かったため、毎日その駅を使っていたということを友人から聞きました。
わたしは、「運命」とは一体どういうものなんだろう、と、ジルのことを思い出すたびに考えます。

そして、彼の残した映画は上映されました。それを見たときに、ジルがどれだけ深く福島に住む人たちにコミットしていたかを知りました。余計な音楽も効果音もなく、静かで美しい映画でした。 彼が音のスペシャリストだったからこそ、何の音響的飾りのないものにしたかったのだろうと想像しています。
映画に出てくる住民達はみんな、汚染された場所で暮らすことに、並々ならぬ覚悟を持っているように見えました。彼らは、運命というものを受け入れながらも、あきらずに現実に立ち向かっているのかもしれません。福島関連のドキュメンタリー映画はたくさんありますが、ジルにしか撮れない映画だと思いました。


今回、わたしが訪ねたジルの追悼のイベントは、小さな内輪の集まりでした。会場は、ジルと一緒に働いていた映画監督のヤスナさんのご自宅です。
以前は皮製品の工場だった建物で、リビングが広々としていています。ダンスパーティーができそうなスペース。参加者はみんなタンゴを踊っていました。ジルもブリュッセルにいたときはタンゴの集いによく参加していたそうです。



ジルの話や、タンゴの話、そしてテロの話など、はじめて会った人達と色々話すことができました。
ひとりのアルゼンチン人のマダムからは、地下鉄爆破の前に国際空港でもテロがあり、空港で難を逃れた青年が、両親に無事を伝えるメールを入れたあと、地下鉄でまたテロにあった、という話も飛び出し、再び、運命とは何なのかという考えが、頭の中をぐるぐると回った夜でした。
ポルトガル人のムッシュは、タンゴの手ほどきをしてくれました。
「生きていると、つらい事がたくさんあるからこそ 踊るんだよ」と言っていました。
その一言は、心に深くしみました。 

左がヤスナさん


 日本では、ジルの奥さん、玲子さんが、がんばって映画を上映しています。

玲子さんのブログはこちらhttp://gillesfilm.hatenablog.com/entry/2017/03/22/010151





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