Le troisième oeil

論文を書いていたため、長い事、ブログはお休みしていましたが、去年の12月に、やっとこさ提出。プレゼンも終わり、学業を貫徹することができました。
提出日に、まだコピーをとっている段階だったので、結局、提出したのは週明け。何度も先生にメールを入れてのばしてもらいました。
この辺が、ゆるゆるなベルギーの大学のいいところです。

論文の形態は自由だということだったので、なるべくオリジナリティのあるものが作りたいと思いました。
半透明の紙を使用したため、片面にしか印刷できず、思ったより分厚い本になりました。これを週末、ふらふらになりながら製本したのでした。




提出したのは、ブリュッセルの交通機関が全面的にストライキに突入した日。
行き帰りタクシーに乗ったんですが、往復60ユーロもかかってしまった。
とんだ出費でした。ガーン。


テーマは、「第三の目」。
目で見る事とは何か、見えない事とはどういうことか、考え続けた一年間でした。
わたしたちには、見えているつもりで見えてないことがたくさんあります。
それから、見る事と、見られることの関係。目の見えない人の視覚的なイマジネーションとはどういうものか。
研修では、視覚障害者と一緒に、写真のワークショプをしました。

一番影響を受けたのは、盲目の写真家、Evgen Bavcarです。
インタビューをするため、パリまで会いにいきました。
幸運なことに、わたしの論文のプロモーターをしてくれた、スロベニア人のアナが、彼の知り合いだったのです。
世間といものは本当は狭いな、と、常々感じていますが、会いたいと思った人には、必ず会えるものですね。


これは、彼が若いときの写真ですが、今でも、子供のような好奇心を持った人でした。
彼の、白黒の写真は、彼の頭の中に、すでにあるイメージの具現化です。目が見えない事は、彼が美を創造することに、何の支障も与えないように見えます。

そして、インタビューでは、彼が、時々、暗闇でも撮影できる赤外線のカメラで撮影していると話していました。暗闇では、私たちは盲目であるに等しいですが、彼にとっては、暗闇は日常です。暗くても、写真撮影をするのに、何の問題もありません。
そして、これからのプロジェクトとして、衛星を使って星を撮りたいと言っていました。
遠い星は、私たちにも肉眼では見ることができません。現代のテクノロジーを使うことで、彼は、目の見える人と同等のコンディションを得ることができるのです。
そして、最後に、こういっていました。「目の見えない人にこそ、視覚的な表現が必要だ」と。


論文は書き終わりましたが、書きながら、どんどん出てくる疑問には終わりがありません。何かを深く知る事は、次々に新しい疑問を生む作業なのだということがよく解りました。
それでも、問い続けることは、生きる喜びですね。
疑問の答えが少し解った瞬間は、ぱっと目が開いたような気持ちになります。
それは、わたしの第三の目が、ちらりと光を見た瞬間なのかもしれません。









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