共感の時代へ フランス・ドゥ・ヴァール
ブルノーと別れました。
長く一緒にいると阿吽の呼吸になるかと思いきや、私のストレスは天井に達し、一緒の空間にいるのも耐えられない。毎日家に帰るのが憂鬱でした。
理由を書けばキリが無いのですが、一番の問題は、彼に共感性がないということです。
ヨーロッパでは個人主義なのは当たり前だし、日本のように忖度することもありませんから、彼の気遣いがないことはあまり気にしていませんでした。
もともと、一緒に住むつもりはなかったのですが、彼の住んでいた郊外のアトリエが取り壊されることになり、行くところがないと言って転がり込んできたのです。
ちょうど、赤井さんの友達がアパートの契約をやめるというタイミングで、ブルノーが地上階の私のアパートに入り、友達のツテで、2階にクロエとグザビエが住むことになりました。
おかげで家賃的にはかなり助かりましたから、その時は私としてもちょうど良かったのです。
大きな転機は、何年か前、私が庭に出ている間に、窓のドアに鍵をかけられたことです。
入れなくて、ガラスを叩く私を見て笑っていました。
お酒が入ったいたし、本人は悪ふざけのつもりだったようです。
私は、以前結婚していた夫にベランダに閉じ込められたことがあり、こういう状況はその時のことを思い出すきっかけになります。
当時、前の夫にパワハラを受けており、散々説教された挙句、ベランダで泣いている私に、「反省しろ」と言いながら鍵をかけられたことがありました。
私は、わざと素手で、ガラス窓を叩き割り、そこらじゅう血だらけになりました。元夫を驚かせるための行動でした。痛みは全く感じませんでした。
ちょっとしたトラウマ体験です。
私は、泣きながらそのことをブルノーに説明しました。その時は、「ごめん、知らなかった」と言っていましたが、その後、何かというと、ドアを閉めて、私を閉じ込めようとするようになりました。
私が抗議すると、その度に「冗談だよ」とニヤニヤしています。
人のトラウマを冗談にするって、一体どういう神経なんでしょう。
ある日、私が友人と一緒にやっている味噌作りのアトリエが引っ越しをすることになり、ブルノーにも手伝ってもらうことになりました。
ラボには大きな冷凍室があり、ドアは壊れていて中から開けることができません。私はドアに少し隙間を開けて、中で作業していました。
すると、ブルノーがドアを閉めました。
私が、中からドアを叩くと、彼は扉を開けて、そこにいるみんなに向かって、「彼女は閉じ込められるのが怖いんだよ」と言って、はははと笑っていました。もちろん、いっしょに笑う人は誰もいませんでした。
今回は涙も出ませんでした。ただただ彼に対する軽蔑の気持ちが湧き上がってくるだけでした。
その後、すぐ別れるかどうか悩みました。キネシオテラピーに行って、相談してみたりしましたが、どうしてもはっきりと結論を出すことができませんでした。当時は一人になるのが怖かったのです。
ブルノーは、アーティストとして、美に対して敏感だし、映画や音楽への感覚も鋭く、好きな映画や本も似ていました。彼の作る作品も面白かったし、日本のこともよく知っていたので、最初は飽きることはありませんでした。
ボルドーのおじさんのうちや、弟が住むシャモニーに行ったりと、家族のイベントに参加できるのも楽しかった。それを全部白紙に戻す勇気がありませんでした。
そのうち、話もまともにできなくなってきました。
彼は、せっかく辞めたタバコを吸い始めました。コロナにかかって以降、私はタバコの匂いに敏感になってしまい、一緒に歩いている時は吸わないでほしい、と何度も頼みましたが、完全に無視されました。もう一緒に歩くのも嫌でした。
彼のお母さんの誕生日に弟夫婦も来て、みんなでご飯を食べた時のことです。
お母さんが、「以前は使われなかった言葉が最近は色々あるわね。例えば共感性とか。昔はそんな言葉はなかったわ。」と言いました。
私は、ちょっとびっくりして、彼女にとって「共感性」は存在しなかったものなのか、と思いました。
もともと母親の中に存在しないものだったから、息子の中にも存在しないのか。
なんとなく、何かを納得した一瞬でした。
最近読んだ記事では、人間にはミラーニューロンシステムというものがあって、子供の時に、成長に合わせながら人の真似をして、いろいろなことを身につけていくということが分かってきたそうです。赤ちゃんはお母さんが笑っているのを見て、自分も笑うことを覚えるのです。
それで徐々にメタコミュニケーションができるようになるんですね。ただそれが阻害された場合、相手が何を望んでいるか察知したり、状況を読んだりする能力が身につかない場合があるそうです。
でも、なぜ阻害されるのか、原因ははっきりわかっていません。
さて、ボルドーのおじさん夫婦が、ブリュッセルに来たとき、うちにも何日か泊まっていました。
私は帰りが遅いので、みんな自分たちでご飯を作って食べていると思ったら、家の台所で材料をテーブルの上に置いたままおしゃべりをしていました。結局、夕食は私が作らなければなりませんでした。
なんとなく、飯炊女が帰ってくるのを待ってた感がありました。
そして、その次の日から風邪をひき、私は熱を出して寝込みました。
すると、街の散策から帰ってきたブルノーたちは、「外に食べに行ってくるから」と言ってすぐに出かけて行きました。誰も私の食事の心配などしませんでした。「外で何か買ってこようか?」という一言もありませんでした。
もう一緒にいる意味などないと感じました。
実は、元夫と別れる決心をしたときも似たような状況でした。
私が子宮筋腫の手術で入院した時、元夫に「時間があったら見舞いに行くから」と言われた時に、その言い方に驚きました。家族が入院したら、手術の前から付き添ったりするのが普通だと思っていたので。
何度も同じような体験をするのはなぜでしょう。
そういう因縁なのか、私自身が馬鹿なのか。
でも、もういい加減いいでしょう。あとは、自分のことだけ考えて生きていきたいです。
そして、一人暮らしのアパートを探し始めましたが、時代は変わって、以前とは違ったものになっていることを思い知るのでした。
そして、更なる試練が襲ってきます。
- 写真は私が好きな、動物に関する共感性の本です。

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