ムッシューゴダールのことは、前回のブログに書きました。
今、彼の部屋は紫のテープが貼られていて、誰もアクセスできないようになっています。
ドアは大家も開けてはいけないそうです。
一人で亡くなったので、事件性がないことがはっきりさせないといけないみたい。身よりもないようで、ポリスが探しているところです。
さて、まだまだアパートの話です。
今住んでいる住所はアベニュー ジャン・ソビエスキーという名前ですが、これは昔のポーランドの王様の名前らしいです。
ここに越してきたばかりの頃、みんなにお知らせメールを送ったら、ポーランド系の友人が、ソビエスキーというのは親戚の名前だと書いてきました。ソビエスキーという名前のウオッカも近所のポーランド系のお店で売っています。
ソビエスキーハウスと呼んで、時々ここでシネクラブをしたり、カラオケ大会をしたりと、友達を呼ぶにはちょうどいいサイズでした。
もともと、アーティストの赤井冨士夫さんが、アトリエとして借りていた場所で、彼が脳溢血で倒れた後、京都のお金持ちの友人がアパートの契約を継続しました。
そして、そこに住む人を探していました。なんといっても、赤井さんのもので溢れていたし、誰も片付ける人がいなかったので、とりあえずその場所は確保したかったんだと思います。
いろんなアーティストが泊まっていたらしく、たくさんの作品が置いたままだし、一度嵐で浸水して、一階部分のカーペットはグチャグチャでカビは生えているし、天井は蛍光ピンクと青と黄色で塗られていて、海の家みたいでした。
ペンキを塗り直し、なんとか整理して住めるようにして、結局13年も住んでいたのだから愛着はもちろんあります。
一階には庭もあり離れがあって、春になると色んな花が咲き、2階は全く別のアパートになっていて、シェアするにはちょうどいい物件です。
ただ当時から、霊感があると称する友達が、一階を通り抜けている男の人を観たとか、昼寝していたら犬のようなものに起こされたとか、不思議なことは多々ありました。
私は、そういうものは全く見ないタチなのですが、部屋が暗いのと湿気は如何ともしがたく、流石にもう出ていっていい時期です。
引っ越しを決めてから、まだまだ残っている赤井さんの作品をケルンに持っていくことにしました。どんな小さな作品でも、やはり他人の私には処分することができません。
もうすでに大きなものは車で運んだのですが、片付けたら、デッサンなどがまだまだ残っていました。
今回は、車が手配できなかったので、デッサンを大きな筒にまとめて、電車で運ぶことにしました。ついでにケルンで遊んで来ようという魂胆です。
ブリュッセルからケルンは電車で1時間半、すごく近いのでびっくり。
駅前のゲストハウスを予約して、ドミトリーに泊まりましたが、綺麗で静か。
駅にもカテドラルにも美術館にも近くてお勧めです。
イレーネは全然変わっていなくてびっくりしたけれど、ブロンドの髪の毛を指して「これかつらなのよ」と言っていました。
赤井さんは、倒れてから、全く言葉を話すこともできず、動くこともできず、ずっと恋人のイレーネが面倒見ています。ドイツの社会保障は手厚くて、車椅子が入れる住宅や、動けない人を移動させるクレーンや、ケアするのに必要なものは全て手に入ります。
久しぶりに会った赤井さんは、随分と痩せていました。
足も曲がって伸びなくなり、下の歯もほとんど抜けてしまったと言うことですが、目は白く輝いており、お肌はピカピカで、シワもあまりなくて若々しい。お母さんがインドネシアの人なので、ちょっと色黒で肌が強いのかな。もうすぐ80歳になるそうです。
イレーネとは、今回は2晩続けて一緒にご飯を食べて、色んな話をしました。(ご飯は私が作りました。)
デッサンと一緒に、昔の手紙や書類が入った袋をイレーネに渡しました。すると二日目の夜に、「あそこに入っていた手紙は、昔の彼女が書いたラブレターだったのよ」と教えてくれました。「昨日の夜は本当に素敵だった。あなたの瞳がが忘れられないの、、、」とかなんとか。今読むとポエティックで切ない文章。
赤井さんは、きっとモテた人だったのでしょう。
子供の頃、お母さんはもう家にはいなくて、大人になってからインドネシアまで探しに行きましたが、結局お母さんはデュセルドルフに住んでいたので、彼もドイツに来て、デュセルドルフのアートスクールに入ったのだそうです。
お母さんは巫女体質の人だったとか。
70年台は、ちょうどヨゼフ・ボイスがデュセルドルフにいた頃で、なにかと熱い時代だったよね。
イレーネが言うには、赤井さんは、ずっと一緒にいても、次から次へと新しい話をしてくれたとか。それがどの話も面白い。
だから飽きることなんてなかったし、ずっと好きだったんだと。
もし、彼が死んでしまったら、自分はどうしたらいいんだろうと言っていました。案外、赤井さんを独り占めにできる今は、イレーネにとって幸せな時間なのかもしれません。
ケルンに来るたびに、色んな生き方があるなあと思ってしまいます。
赤井さんは、どうなんでしょう。今、幸せなんでしょうか。
坊主にした赤井さんの頭は綺麗に丸くて、本当の僧侶のようです。何もない、存在だけの人になっています。
こんな記事を見つけました。
http://kyotocf.com/mojo70s/essenerpop-blues-festlval69/
音楽もアートも、彼の世界の一部だったんですね。
このようにして、私のケルンミッションは完了しました。
美術館では、ケルンの伝説的な殉教者、ウルスラに思いを馳せました。
ベルギー、ブルージュにあるウルスラの箱は、ハンス・メムリンクの傑作です。国宝にもなっています。メムリンクはウルスラの絵を描くための取材と称してケルンを訪れ、こっそりと要人に会い密書を渡したとかいう話もあります。
スパイ活動なんかもしてたのかも。
メムリンクのケルンミッションはどんなものだったんでしょう。ちゃんと成功したのかな。


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